un deux droit

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仕事は頑張るな

「今年、一番キツかった仕事は何ですか?」


昨日社長との面談でこう問われた。


勤め先では毎年3月になると、全社員対象に社長との1on1ミーティングが設定される。開催の目的は、普段関わりの少ない社員の「日々の頑張り」を直接聞く、ことにあるらしい。人事考課は表向きは評価制度に則り、上長とその上の上長による1次、2次評価によって決定されることになっているのだが、裏ではこの社長との1on1面談で与えた「印象値」によってその査定は大きく歪められることになっている。年間を通じて部下の働きを支援してきた上長の評価よりも、年1回、高々30分程度の社長との面談の方が優越するというのは、人事制度と上司の人格の冒涜以外の何物でもない。しかし、まさにその「冒涜」こそが社長の真の目的なのだから仕方がない。お前のお給料を決めているのは俺だからな、という影響力を誇示して人を従えたいだけなのだ。そんな魂胆は見え透いているのだが、実際にボーナスの額が10万単位で変わってしまうので、一介のサラリーマンとしてその幼稚な自尊心の充足に付き合ってあげている。その自尊心の充足のために3月を丸々面談に費やすのだから、この社長よほど暇と見える。


話を戻す。冒頭の問いは、私から今期の成果についてのプレゼンをした後に投げかけられた問いだ。私はこの応答にしばしの間口を噤んだ。というのも、育休から復帰してこのかた、「キツく」なりそうな仕事はまるきり断るようにしているからだ。「キツい」というのは私にとっては「時間の拘束がむやみに多い」「その仕事自体に興味が湧かない」「得意でない」という要素を含んだ仕事を指すのだが、子育てをしながら仕事を捌くには、これらの要素をできるだけ労働人生から排除することが重要なカギとなる。家事育児はとにかく時間が貴重だし、それなりに激務なので、仕事「ごとき」で生活のモチベーションを下げられてはたまらない。仕事でやすやすとHPを削られては、家に帰ってきてからのボス(妻)戦を戦い抜くことはできない。ちょっとした手抜かりが夫婦喧嘩3時間コースの幕開けとなるのだ。そうすれば明日の仕事の体力は赤ゲージで開始しなくてはならない。結局仕事を守るためには、仕事を安請け合いしてはならないのだ。


幸いにして人類は多様で「時間の無闇な拘束を厭わない人(むしろそこに存在意義を見出している人)」「私の興味のない仕事に興味津々な人」「私の苦手な仕事を苦もなくこなせる人」で溢れている。だから仕事は抱え込まずに容赦なく手放している。勤め先には協力だけ仰いで成果は独り占めという輩がうようよしているので、成果ごとまるっとプレゼントする私は「気前のいい人(バカ)」という扱いを受けている。今年度もその仕事だけで年間予算を達成してしまう大型プロジェクトを受注までして他の営業にあげたし、問い合わせがあって後はゴールを決めるだけ、という顧客も躊躇なく手放した。そして、自分が得意で自分の好きな時間にできる原稿書きや資料作りはほとんどの人間が苦手なので交換条件で引き取ってあげている。相手からすれば成果はくれるわ雑務は引き取ってくれるわでこんな虫のいい話はないと思う。自分はもう出世する気がないので、今の給料を維持できる程度に「仕事をしているフリ」さえできればいいのだ。そうやってたっぷり家庭のための時間を確保している。


そんなわけで社長の問いにはうまく答えられず

「特になかったです。楽しい一年でした。」

と答えた。社長は物足りない様子だった。社長はどうしても社員の苦労話が聞きたいらしい。どうも社長は「仕事とはキツいものであるべきだ」という信念を持っていて、社員には苦しんでもらわないと気が済まないようだ。つまり社長は「仕事のために何かを犠牲にして」「顧客から理不尽な扱いを受けて」「それを気合とチームワークで乗り越えた」美談に飢えている。真正のS。マジで厄介な会社に入ったなぁ。根本の価値観がまるでかみ合わない。仕事のために就業規則に書かれていること以上のものを1gも差し出したくないし、理不尽な顧客は全部こちらから取引を断っている。それでも、いやそれだからこそ少ない時間で目標は達成できている。時間食い虫、精神削り虫は見つけたら即駆除しかない。そういうのを甘やかすから社会は発展しない。だれかがそのクソ仕事を引き受けてしまうから、自分の出している条件が劣悪であるということにいつまでも気づけないのだ。こうやって社員に苦痛を奨励して、受けた苦痛の量で評価をする会社は、劣悪な条件を甘受するM人間を量産してしまうから社会にとって害悪だなぁと思いつつ、そんな会社を片っ端から駆除する時間がもったいないので、自分の周りにだけ殺虫剤を撒いて生活を防衛するにとどめる。


仕事はキツいもの、辛いものであってはならないし、それを「頑張り」で乗り越えるのは間違っている。


仕事は難しく、それゆえ苦しいかもしれないが、楽しく、好奇心で乗り越えるべきだ。


どちらもはたから見ると大差なく見えるかもしれない。苦しそうな表情を浮かべている人を見れば「キツそうだな」と思われるかもしれないし、没頭・熱中している人を「頑張っているな」と評価してしまうかもしれない。この差は本人にしかわからないので、辛いことをどんどん断る文化が根付いてほしいなと思う。まずは自分の周りからだけでも、脱「安請け合い」を広めたい。