un deux droit

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妻が出ていった

妻の言い分は言い分として、妻側にも問題や行き過ぎたと反省すべき点は一つもないのか、全ての問題は100%私が悪いのか、人を指差す前に自分に対して指差すことは出来ないのか、と問い詰めたら「出ていけ」と発狂し、私のありったけの私物を玄関外に打ち捨てた。

妻は都合が悪くなると「出ていけ」の連呼と殴打と破壊しかしなくなる。このやりざまでいつも私が追い出されてきたわけだが、もういい加減譲りたくなくて、「自分に出ていく筋合いはないし、そんなに離れたいなら自分が出ていけば」と言った。すると、「お父さんが出て行けと言ったから出ていくね」と捨て台詞を吐いて妻が出ていった。


私が出ていけと連呼されている時、子どもたちは涙目を浮かべて心配そうにしていた。しかし妻が出ていった後は安心そうにしていた。お母さん帰ってこないのかな、とは言っていたが、私が追い出されそうになったときの絶望感は表情に浮かんでいなかった。

私はその様子を見て、これまでの生活で子どもが私を愛してくれていたことを強く感じ、心打たれた。目の前で妻の私に対するダメ出しをあれだけ散々聞いてきても、私のことを軽視しなかった。妻がどれだけ稼いできて、どれだけ家の管理が行き届いていて、どれだけ教育熱心でも、子どもとの心の結びつきはとても弱かった。その事実だけで、妻に散々否定されてきた自分という存在が肯定され、取り戻した気持ちになった。

これから妻が戻ってくるのかはわからない。しかし、たとえ妻がローンの半分の支払を拒否して家計が回らなくなって、子どもの習い事をやめたり、この家を追われることになっても、子ども達さえいれば他に何も要らない、どんな貧乏も厭わない、そんな覚悟ができた。どんな暮らしになっても子どもたちと一緒で、かつ妻がいなければそれだけで幸せだ。