un deux droit

このブログには説明が書かれていません。

見極めるべきは本人よりも親と実家

長女が猫を欲しがっている。

私はペットを飼ったことがないし、飼いたいと思ったこともない。飼うことを検討することに時間と頭を使うことも惜しいと思っていたところで、妻の教育熱に火がついてしまった。子どもはすぐ巣立つ。どうせ飼うなら早い方が良かろう、という判断だ。妻は女性の平均よりお金を稼いでくるが、それ以上に使う。ブランド物などには一切使わないが、子どもの習い事や園芸、知育に関しては底なしだ。動物の飼育も情操教育に良いと判定されたのだろう。こうなるともうだれも止められない。そんなわけで、先月から休みのたびにブリーダーのお宅に伺ったりしている。

ブリーダーの家めぐりをしていると面白いことに気づく。獣臭の全くしない家と、耐え難い獣臭の染みついた家がある。前者の猫はブラッシングが丁寧にされているのか、毛の長さがそろっていて、抜け毛がない。後者の猫は毛の長さがばらばらで、抱っこをするとTシャツが毛だらけになる。そしてお尻のあたりの毛が黄ばんでいる。前者は部屋の掃除が行き届いていて、頭数も少ない。後者は人間の居住スペースも散らかっていて、猫の数がやたら多い。多頭飼育崩壊一歩手前。それぞれのお宅の「普通」にあまりにも乖離がある。

どちらのブリーダーも「しつけを丁寧にしている」「ブラッシングをしている」と主張する。しかし、前提とする「普通」があまりにも違うので、意味するところが大きく異なる。ネット上の評価はどちらも高い。同じ品種の子猫であればどれも愛くるしいし、ペットショップに「出荷」され「展示」されるときは身ぎれいにされるので、それまでどのような生育環境だったかは手元に届いたときにはわからない。ペットを飼うときにブリーダーの元まで足を運ぶような人間はほとんどいないだろうから、きっとこのあたりの現実は見落とされているのだろうなと思った。

そこでふと、子どものお受験に思いを馳せる。よく親もそろって三者面接みたいな試験があると聞くけれど、これは子どもじゃなくて親を見られてるんだろうなと思った。子どもなんか大人から見ればどれも幼稚だし、着飾ってしまって、練習の通りにしゃべらせればどれも金太郎飴みたいな仕上がりになる。しかし、その両脇に控える父母は長年染みついた生活習慣をその場だけ矯正することは難しい。さりげない仕草や言葉遣いなどで、プロの面接官はだいたいどのような家庭のレベルか見抜いてしまうだろう。ただ外れ値で頭の出来が良い野良猫か、血統書付きかは容赦なく選別される。就職のときに使う履歴書に、中学高校あたりから書かせるのは、大学で混ざった野良猫を除外するためだろうなと思った。見られているのは、上品で洗練されたコミュニティの中で、調和のとれた行動や言動をとれるかどうか。そんな残酷な階級社会の広がりを勝手に妄想する。本当にそんな世界があるのか、実はそんなものが存在しないのかは、野良猫サイドの育成歴を持つ私には目が利かないので一生わからない。

転じて、結婚相手を見定めるのにも同様に、親や実家を見てから冷静に決めた方がいい。パートナーの普段の暮らしからでは味わわない違和感を相手の親や実家の雰囲気から感じたときは、退却するラストチャンスだ。私の場合は妻の両親が離婚していることを結婚する割と直前に知ったのだが、私はその事実をいささか軽んじて受け止めていた。当時はわからなかったのだが、妻は自分の想像力の限界を超える烈しさと男性不信を抱えていた。親の離婚している人がすべて結婚不適合だと言いたいのではない。私にはその生育歴が由来の特質について、受け止めるキャパシティが不足していた、ということ。身の丈に合わなかった。結婚の場合、自分にとって何が「野良」に該当するのかは人それぞれで、どの「野良」の性質なら受け止める覚悟があるのか、ということを謙虚に見極めることが大切だ。