夫婦喧嘩で気が塞いでいるので、匿名だから言える、ちょっとダークな告白をしてみる。
「親がいとこ」
この事実は私の30年強の人生の、通奏低音となっている。
このことがかなり特殊なケースだと知ったのは小学生の頃だったろうか。
「結婚ができるのはいとこまでです」
たしかこんな一文を教科書かなにかで見て、「うわーお、うちギリギリじゃん」と思った。
当時はそれの意味するところがよくわかっていなかったので、クラスの机の向こう三軒両隣くらいに聞こえる声量で「親がいとこ同士だわ」ということをポロッとつぶやいたと思う。それを聞いていた周囲の同級生も対して気にする素振りもなく、「へー、めずらしいね」位の反応だったのでおそらく誰も覚えていないだろう。
小学生時代は、単純に親族の数が少ない=お年玉の総額が少ないということが最大の不満だった。父の兄が母の幼少期のことを知っていて、「昔からしっかり者だった」と評するのが可笑しくもあった。ただ、閉鎖的な集落だったので、親族同士とは言わないまでも、親同士が幼なじみ、みたいな同級生も珍しくなかった。
認識があらたまったのが中学生の頃。クラスメイトが「大正天皇が若いうちに死んだのは血が濃いかららしい」みたいな話で盛り上がっているのを小耳に挟んだ。「血が濃いと、天才か障害児が生まれるらしいぜ」そのクラスメイトは、まさにその当事者が近くに座っていることなど想像だにしない、という感じで無責任に楽しんでいた。え、、俺大丈夫なのかな、、その時初めて自分の遺伝子の持つスティグマの存在を恐ろしく思った。そういえば4歳位でニュースの天気予報を見て「名古屋」「沖縄」を読んで見せて親を驚かせたことがあったな。俺って実は天才寄りかもしれない。そんな歪んだ自意識と障害への不安がむくむくと膨らんでいた(今思うと、その発想の貧困さがすでに天才ではないことを示している)
それ以来、親族の集まりに顔をだすのがなんとなく恥ずかしいと思うようになった。
いや、あんたたち止めろよ結婚するのをさ。母の旧姓と父の姓が一緒ってなんだよ。その子どもがどう思うかとか、そもそも障害児が生まれる可能性とか懸念しなかったのかよ。お互い余り物だったのかな…
他の同級生は、親が恋人同士だった時の馴れ初めの話とかを普通に知っていたりして、面白おかしく話すのを聞くことがあったけど、私は親の馴れ初めなど知りたくもなかった。
高校に入り、自分の人生のミッションを2つ掲げた。自分は絶対にできるだけ遺伝子の遠い女性と結婚すること。そして、自分は天才児であることを証明すること。これが正しい恋愛、結婚のあり方のお手本だぜ、というものを両親に見せつけてやりたかった。とびきり聡明で美人な女性と若くして結ばれてやるのだ。そして勉強は割と得意だったので、地元でナンバーワンの旧帝大に入ってやると決めた。思春期でメンタルが脆く敏感な当時の私は「自分は正常だ」ということを証明したくて仕方がなかったのだ。(今思うと、その発想の貧困さがすでに天才ではないことを示している※2回目)
そうやって自分に課したミッション達成のため死にものぐるいで勉強し、本当に旧帝大の一角に合格してしまった(ガリ勉している時点で…※3回目)
両親も親族も地域住民も、それこそ「末は博士か大臣か」というはしゃぎようだった。(どっちの箸にも棒にもかからずすみません)
もう一つの結婚ミッションも自分が決めた期限内に達成することができた。子宝にも恵まれ、遺伝の問題もなく、スティグマから開放された爽快感を味わったとともに、自分の人生の目標を達成してしまった虚しさも覚えた。
そして後日談。
いとこ婚は実子よりも孫のほうが高い確率で遺伝的障害が発生するリスクがあるという研究もあることを、子どもが生まれてから知った。幸い今のところ目立った問題はないように見受けられるが、その心配を今後も抱え続けることになる。子どもたちに自分のスティグマを薄めて押し付けてしまった罪悪感を少し覚えている。
そして障害については、知能障害や身体障害以外に発達障害というジャンルがあることを成人になってから知り、まだその可能性が残っていることを心苦しく思っている。まだスティグマから開放されていないじゃん俺。ちなみに妻には結婚前に親がいとこ婚であることは伝えているが、そのせいもあって「あんたは血が濃いからきっと発達障害なんだよ」と言われまくる日々である。これまで妻の非道を散々書き殴ってきたが、妻が私に潜在的な不信感を持つのも致し方ないと思ってもいて、それは本当に申し訳ないことだと心を痛めている。
そんなわけで、障害の有無はともあれ、「かもしれない」という呪いに苛まれつづけ、子孫に暗い影を落とす可能性大なので、近親婚はダメ!ゼッタイです。もうそんな風習、とうに途絶えていると思いますけど。
書きながら思い出したことがある。幼稚園卒園直前に受けた知能テストの結果を母は頑なに見せなかった。今なら見せてもらえるだろうか。