un deux droit

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会社と社会

仕事の腕前は半人前のくせに、給料だけは一丁前の中高年社員。

こんな人間はどの会社にもいるだろう。

私の上司も多分に漏れず、環境変化に対応するアップデートを怠ったために客先で通用しなくなったお荷物社員だ。

 

不活性な中高年は人件費の無駄以外の何物でもなく、ともすれば意欲と能力のある若手のモチベーション低下要因にすらなっているので、さっさとが退出いただくか、ポジションと給与を他の社員に譲渡してほしいものだが、なかなかその新陳代謝は起こらない。

 

自分の憤りを脇に置き、客観的に興味深い事例として眺めてみると、ようやくメカニズムが見えてきた。

会社の組織運営に、社会の役割がねじ込まれているのだ。

つまり、本来社会の役割であるはずの、能力や意欲の多寡を問わず、誰しもが不自由なく生活を営める権利を、わざわざ会社が保証してやっている。

 

だから、困ったときはお互い様、今は老いぼれたけど昔はバリバリで、今のこれからの仕事は彼が作ったようなものだから敬うべし、みたいな筋の通らない理屈がまかり通るのだ。

 

なぜこんなことになるのかというと、多くの日本人中高年が、会社の中にしか

自分の社会を持たず、また会社もそうなるように仕向けてきたからに他ならない。

会社は、個人が属するコミュニティが束縛してきた負い目があるからこそ、お荷物社員を排除できないのだ。

 

しかし、当たり前のことだが、会社は特定の価値創造によって利潤を追求する、という限定的な目的を持った組織だ。

その目的に貢献する能力と意欲を持たない人間を抱え込んでおく道理はない。

会社で面倒見れなくなったら追い出すのか、ひどいじゃないかという意見の人もいると思うが、そもそも会社とはそういうもんだ。今までが異常だったんだという認識を持った方がいい。

社会が社会としての本来の役割をしっかり果たせば、会社は会社としての本来の役割に集中できるはずなのだ。

 

それでは会社が本来の役割に集中するために何をしなければらないのか。

それは、会社がこれまで過分に請け負ってきたコミュニティ機能の最後の役割として、従業員が本来社会の中で見出すべきだった居場所作りの代行を請け負う、ということだと思う。

個々人が安心して雇用流動化を受け入れられるために、社会に居場所をたくさん作って、そこにちゃんと参加を促す。

もしかしたらよそで得た見識や発想が本業に活きるかもしれないし、健全なレベルでの組織内の人間の入れ替えにもつながる。外で得た刺激が直接組織内に還元されるか、不活性社員の放出という形で間接的に組織内に還元されるかの違いがあるだけで、どちらにせよ会社に生産性の向上をもたらす。


週休三日制やテレワーク、副業解禁など様々な施策を各社打っているが、家畜から急に野生化しろと放り出されても野垂れ死ぬだけだ。 最初は過保護なくらいから段階的に自立させるのが結局近道だ。


蛇足になるが、会社でとてもそこまで面倒見切れない、というならば、労働組合のある会社は労働組合に担わせたらよい。

組合も雇用だ賃金だと何でもかんでも面倒を見てやるんではなく、会社から放り出されても食いっぱぐれることなく独り立ちできる支援をする方向に切り替えるべき時期に来ていると思う。

働き方改革が本当に働く一人一人の金銭的・人間的豊かさにつながっているか、繋がっていないならばどうやって繋げていくのか、組合にも会社主導の施策に対するリアクションだけでなく、自分事として試行錯誤し、具体的な行動に繋げてほしい。