un deux droit

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花粉なくして花は咲かない

「優しさがない」
「もっと関心を示して」
「なんで自分が主担当でない家事についてはノータッチなの」
「私のやり方をちゃんと見て」
「言い方が悪い」
「聞き取りにくい」
「質問と回答がかみ合っていない」
「すぐに憤慨しないで」
「素直に謝って、次はしないね、って何でさっと言えないの」
「わからないことは質問して。当て推量で答えないで」
「なんで一問一答形式なの。会話のキャッチボールをしようよ」

などなど、ここ一週間ずっと妻とこんな話題を堂々巡りで繰り返している。

自分としてはできうる限り、優しさと関心を絶やさず、相手を尊重して手を出さないところと、手を出していいか聞くところと、聞かずに手を出すところの境界線に神経をとがらせ、聞かれたことに明瞭に答えるように努めているが、妻の私に対する不満や憤慨は湯水のように湧き出てくる。妻は何でも言えることが健全で、妻としてはすべて丸く収まっている、あなたは成長し改善しているというのだけれど、なぜこんなにも痛みを伴う成長を強いられなければならぬのか、と自分の人生の選択を呪う。さすが何人も部下をメンタルダウンさせ、退職に追い込んだ傑物である。あなたはそのままでいい、等身大のあなたが好きなのよ、なんてことは口が裂けても言わない。存在そのものを認め、受容するということをしない。それはおかぁちゃんの役割だと突っぱねる。「あなたにあれこれ要求するのは信頼している、期待している証拠だからだ。満足することなどない。あなたが足を止めた時点で関係は終わる、現状維持は衰退だ」と全く心理的安全性をくれない鬼軍曹。それでいて恐れるなとか怒られたくない保身でやろうとするなと受け身も取らせない。夫婦の関係はプロレスですか?あなたは刃牙の化身ですか?そう問いたい。

わたしにも問題があると言えばある。というか、心がぶっ壊されて正常に脳が機能しなく、感情が湧かず、手足が思い通りに動かない。そりゃあまどろっこしくてイライラすることもあるだろうね。けれど私にとっては、あらゆるの物事に、手を出して怒られた過去と手を出さなくて怒られた過去があるのだ。今日は丁半どっちだろう。二者択一のロシアンルーレットを仕掛けられる毎日に神経は擦り切れてしまった。ロシアンルーレットならまだよい。日によってはすべてのシリンダーに実弾が充填されているケースもある。ただの射殺。私はもう死んでいるのかもしれない。そんなわけで親切の応酬や会話のキャッチボールなどを悠長に楽しむ余裕などない。放たれた実弾を花束に変えて差し出すなんてのは凡人の所業ではない。

心が壊れているなぁと思うのは、「人を愛する」感情が湧かないこと。妻から言われる一々の行動の修正をなぞることは苦痛でしかない。そしてそれらの行為は昔、苦も無く自然にできていたはずの行為なのだ。好きな人に親切にし、自分をわかってもらいたいと自己開示し、相手をより深く知りたいと問いかける。「愛している」という感情があればなんの難しいこともない。が、特に関心のない相手にするのは死ぬほど難しい。関心のない相手に自分を知ってもらおうと努力し、関心のない相手がどんな人か知ろうとし、関心のない相手が親切だと思うことをしてやる。そりゃできっこないよね。すべての言動がちぐはぐだと妻が言うのもそりゃそうだと思う。好意を起点にしてないんだから。

妻は妻で私に好意を示すなんてことはまるでしていない。一緒にいることが好意の証拠だとぬけぬけと言う。そして、好意などを起点にしなくても、親切にしたりキャッチボールをできていると妻は自己認識している。現に私の行為に不満などないでしょう?と自信満々だ。天上天下唯我独尊。そのうち焼き討ちにあうよ。


よし良いだろう。もう面倒だから妻の言い分を正当なものとして話を先に進める。妻よ、あなたは自分が好意を持てない人間から親切にされ関心を示され自己開示されて嬉しいのか?答えはNOだろう?好意を持っている人に行為を持ってもらうときにする態度は、今のあなたの態度のどれでもないはずだ。まずその前提が破綻しているのを認めようよ。上司部下など利害関係がある場合を除いて、妻の行為の意味するところは「お前が嫌い」もしくは「興味ないね」のどちらかだ。そんな態度を示すことに躊躇がないくせに、自分だけは大切に尊重されたいだなんて虫が良すぎる。ほら、いつもあなたは私に言っているじゃないか。「自分が与えたいものではなく相手が欲するものを与えなさい。自分が与えたいものを与えるのは自己満足だし、それで相手に満足しろと強要するのは傲慢だ」と。好意という媒介物なしにそんな曲芸は成立しないんだよ。

互いに互いの求めるものを与えるだけ好意がないことはもうわかったんだ。それでもいいじゃないか。好意はなくても信頼はし合える。互いに子の親として粛々と責任を果たそうよ。誰も好きじゃないけど大切にはされたいだなんて西野カナだって歌ってないぞ。