un deux droit

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脳の清掃活動

連日の夫婦喧嘩に憔悴している。新居の建築という、毎日いろんな判断を迫られる時期ではあるため、それに伴う衝突はある程度致し方ない部分はあるが、それにしても多い。

内容はもう良い。というかあまり記憶にない。

今心配しているのは喧嘩の発端となる、私の言行が自分でもコントロールできなくなっていること。

妻の話を聞き漏らす、妻の質問へ回答が思い浮かばない、妻の罵倒に感情の抑制が効かない、妻の挙動に過剰反応する、呂律が回らない、車の運転中の状況判断が悪い、無意識に脱力している。それらの不可解な行動がまた妻の苛立ちに火をつけるという悪循環。

なんかこれ、脳が萎縮してない?

「私と一緒に暮らすのは大変よ。私もその自覚がある。だからいつでも辞めてもらって構わない。私はいつでも言いたいことを言いたいように言う。それが暮らしの継続よりも大切なことなの。逆に、暮らしを継続しようと言いたいことに口をつぐんでしまったら、ストレスが膨張して結局暮らしが継続できないの」

一見もっともらしく見える理屈だけど、その意味するところは「何を妥協して何に寛容になるか、あるいはならないか、については妻が専横的に決定する」ということであって、いわゆるジャイアニズムな訳であります。他人同士で構成する組織において、不可侵領域を勝手に設定されることの窮屈さ(しかも事後的にここは不可侵と宣言できる)に苦しんでいる。

「私だって妥協してるし寛容にしてるじゃない」という詭弁を妻はよく述べるけれど、そもそもそこは妻にとってどうでも良い領域な訳で。絶対譲れないと思えるところを譲ろうとするからこそ成り立たのかなと思うけれど、妻からすると「絶対譲れないところで対立するなら互いに譲らないで解散したらいいじゃない」でおしまいなわけだ。やっぱり解散しかない?