un deux droit

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妻はアンビリーバボーに出演できる逸材

「あの発言ないわ〜、流石に引いたよ」
そう言って侮蔑の眼差しを向けてくるのは一年上の女性社員。新入社員時にペアを組んで営業の基礎を教えてくれた先輩だ。

「みんなも直接言わないだけで普段からあなたの言動には白けてるからね。あなたが勝手にやってることは誰も求めてないし評価もしていない。」

「私は昔ペアを組んだよしみでわざわざ言ってあげてるけど、基本的には愛想尽かしてる。会社も同じであなたの処遇には困ってるの。営業目標達成していると余ってるかもだけどそもそも目標値低いからね?後あなたがウソの予定入れてサボってるのもちゃんとわかってるから。」

「もう正直に言うけど、私あなたの業務改善を支援するパートナーに選ばれたの。じきにあなたへ正式にPIPの通知が来るわ。でも私の見込みでは絶望的。誰もあなたのことを信用していないから。どうする?私キャラコンだから、次の転職先を見つけるための面談ならしてあげるわよ。」



…というところで目が覚めた。

なるほど私は潜在的にこんな不安を抱えていたのかと冷や汗を拭う。
会社に何も期待していないと普段から思っていながら会社から冷遇されることは恐れてるとは、なんとも虫のいい人間だ。
冷静に考えれば失って惜しいほどの待遇では全く無いし、私のいる/いないが経営に大きな影響を与えるほどの存在でも無い。だから人員コストを払ってまで私の素行を他の社員に調査させることもない。この夢はあまりに妄想がすぎる。

それでもこんな馬鹿げた夢を見るということは、自己評価と他者評価の乖離を潜在的に恐れているということなのだろう。それは評価されていなくて悲しいということではなく、自分の価値尺度がデタラメであることが白日の元に晒されて、自分の判断が信じられなくなることを恐れているのだ。

上記の女性社員と類似のメッセージは妻から日常的に浴びている。お前の思考回路は根本的に歪んでいるのだ、と再三にわたって刷り込まれている。拙速な判断に留保を与え、猜疑的であるよう振る舞うことは賢明に生きる知恵だと思う。しかし「間違っているかもしれない」と「常に間違っている」は似て非なるものだ
。完璧に洗脳の手口。刑事ドラマやクライムノベルの見過ぎ読みすぎ。エンターテイメントを現実世界で実践してはいけない。私は崖ギリギリで耐えているが、子ども達は無防備なのでしっかり守ってやらねば。