un deux droit

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子育てに あると思うな 独りの機

「プライベートな時間はどうやって確保しているんですか?」

昨日講演で呼ばれた育休推進セミナーで、こんな能天気な質問が飛んできた。
そこまでの講義で、結構直接的な表現で「育児なめんな」的な話をしてきたつもりだったのに、まだそんなヌルいことほざいていやがるのか、と少し苛立って、

「プライベートはほぼないし、その時間を欲することすら無くなった」
と皮肉を込めた回答をした。

言った後、少し大人気なかったなと反省したが、いやぁ、大変なんですねぇ、とわかったような口でうんうんと頷く聴衆の姿を見て、もっと具体的に言ってやればよかったと悔やんでいる。

講演は17時に終わったが、その20分後には電車に飛び乗り、40分後には保育園に迎えにいき、60分後には夕食を振る舞い、90分後には子どもたちの遊び相手をしながら食卓を片付け、120分後には風呂を沸かし、150分後には子供たちを宥めすかして風呂に連行し、180分後には暴れ回る子供たちの髪を乾かしパジャマを着させ、240分後には遊び足りない子どもたちをなんとか寝かしつけ、270分後からは無惨にも散らかった部屋の片付けや食器洗いを開始し、全てが一段落するのはだいたいいつも23時頃でその頃にはもうヘトヘトだし、翌日のための体力回復に努めるためレジャーなどに時間を割くことなく、むしろやり残した仕事などを少し片付けて寝る、というのが具体的に言ってプライベートのない生活なのだが、きっとそんなことは想像されてないでしょう?そしてそんな素振りを私は少しも見せなかったでしょう?この現実の伝わらなさが、育休談話した時にとても徒労感を増幅させる。
ついでに、プライベートな時間を欲することがないというのがどういうことかと言うと、まず元の友人関係がほぼ完全に絶たれる。時間取れないし、無理に時間取ったとしても、友人とはあくまで独身時代の価値観ベースで気が合ったわけで、当時よりずいぶん老成してしまった今となっては、当時のテンションを再現できず、なんでそもそもこいつと仲良かったんだっけ、と白けた感じになり、結局疎遠になってしまう。そんな感じでたまには家族と離れて誰かと遊びに行きたい、という欲求が湧かなくなる。また、お酒を飲むと次の日に響いて家事育児に手ぬかりが起きる。そのことで家庭の不和を無闇に招くということが嫌すぎて、お酒自体を体が求めなくなってしまった。社会人サークルなんかも土日は子どもと過ごしてやらねばと思うと安定的に通えなくなり、人間関係が築けず楽しく無くなってしまい足が遠のく。万事がこんな調子で、プライベートな時間を無理に捻出したところで、それが継続できないのならば大した値打ちがない、という境地に至ってしまう、というのが私の言わんとすることの具体的な意味なのだが、そこまで無味乾燥な日常までは想像できないでしょう?こんな掠れ気味の叫びが脳内で反響している。
子どもも欲しいけど、キャリアも犠牲にしたくないしプライベートも諦めたくないなんてわがままな妄想を膨らませて身動き取れなくなっている人は一生悩んでろと思う。いずれ櫛の歯が欠けるように周囲が結婚していけば孤独になってプライベートな時間を満たせなくなるだろう。自分の欲求するものが10年後も欲しいとは限らないし、10年後も存在する保証はないのだ。その時になって変化を拒んできたことを後悔しても間に合わないぞ。