un deux droit

このブログには説明が書かれていません。

男性育休取得者数が伸びない厄介な構造

お客さんから男性の育休取得者を増やしたいのでなにか参考になるセミナーないかと問い合わせがあった。
一応適当なセミナー講師を見繕っておいたが、正直に言うとあまりうまくいかないか逆効果だと思っている。
第一に、そういう研修を開催すること自体が「よほどこの会社では男性の育休取りにくいんだ」という印象を強化させてしまう。躍起になってやればやるほど自分たちのできてなさを浮き彫りにするだけである。
第二に、これは根本的に夫婦間のごくプライベートな領域だ。風潮に安易に乗っかって妻にも相談せず勝手に育休を取ったら「余計なことをしてくれるな、ちゃんと働いて無闇に評価を落とすような真似をするな」と妻から門前払いを喰らいましたなんて情けない事例だってある。子育てには夫婦それぞれの価値観があるからよくすり合わせて納得いく合意形成を図るのが先。逆にそれさえできれば会社は実は関係ない。夫婦の意向と会社の思惑が馴染まなければ会社を辞めるまでだ。
第三に、育休なんてものは人から言われて取るようなもんじゃない。そんな生半可な覚悟で取れば必ず後悔する。自己責任論は嫌いだが、この選択による自身のキャリアへの影響は全て引き取る覚悟が必要だ。育休経験者は戦線離脱している間、本当は自分があげたであろう手柄、浴びるはずだった称賛、手にするべきだった地位をみすみす見送る痛みを経験する。会社も嫌がらせでそういうことをしているわけではないこともわかっているし、逆に離脱によって全く差が生じなければ穴埋めした側に不満が溜まることもわかっているので、どこにも憤りの捌け口がないという苦しみを耐え抜かねばならない。キャリアを短期的に見たら、子どもを持つことにペナルティを課せられているような気分にどうしてもなる。しかしこれは多くの現在ほぼ全ての子育てサラリーウーマンが経験していることでもあるわけで、今まで男性が不当にこの葛藤をスキップできただけだと達観できれば乗り越えられる。
私が現時点でわかっていることは、その達観の先には他のもので変えがたい幸福感と充足感を子どもが与えてくれるということ。この感覚は葛藤を抱えたままでは満足に味わえなかった。なのでまずどうしても達観が先。達観とは即ち勤労感の抜本的な変容である。具体的には他者からの評価を希求する気持ちから解放され、自分の能力発揮を追求することそのものが仕事の面白さだと割り切ることである。単に自己満足と言い切っても良いかもしれない。勤労感の矯正は育児の直接的な効果ではないからそれを目的に育児をするわけにはいかないのだけれど、今しばらくの日本の勤め人にとっては結果的に同じように作用するはずだ。ただしその唯一の条件が育児休業を自己決定したというプロセスを踏んでいることなのだ。
なんか割食ってるなぁ、という被害者意識が発動している間は育児のデメリットばかりが目立つだろう。この被害者意識から早く抜け出すためには自分で選んだ道だ、という深い納得感がどうしても不可欠なのだ。多分この達観の道は本当に狭いので、ここ数年の男性育児休業者のほとんどが通り抜けられていないはずだ。もし大半の人が同じ境地に辿り着いているのならば経験者がどんどん育休を推奨してもっと男性の育休ムーブメントが起こっていいはず。波及していないということは余り貴重な体験になっていないということだ。こんな話を聞いてももちろん潜在的な男性育休取得者に冷や水を浴びせるだけだから、やっぱり難しい問題だなぁとつくづく思っている。