un deux droit

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「正しいこと」が通るべき局面

コロナウイルスの蔓延で、クルーズ船の乗客がカンヅメになってる件。

感染防止策がお粗末であることを暴露した方に、中の人が反論して、暴露した方のやり方が悪かったみたいな風潮が出てきている。

中の人の反論として、「正しいことが必ずしも通るわけではない」というものがあって、それが少なからず共感を得ているようなのだが、暴露した人のやり方が青くさいと小馬鹿にする風潮には全く賛同できない。

まず大原則として、正しいことが通るべきだ。そこはほんと自信を持ってほしい。現実はそうでない、とか知った口を聞いて、理想を追求する人の口を噤ませようとしてはいけない。

そしてこういう緊急事態だからこそ、通常より正しいことを尊重せねばならない。内輪の理屈こそが一番邪魔だ。正論が通らないのは平時の余裕のある時だ。そういう時は方々の顔を立ててのんびりとことを進めれば良い。非常時はなりふりかまっていられない。残酷でも無慈悲でも正しい選択を選びただけなければならない。

あと、隔離されている人やスタッフの士気低下を懸念して真実を言ってはならない、みたいな話もあった。確かにそれは一理ある。しかし、どのみちすべての判断が何かしらのリスクを持っている。告発した人はリスクとメリットのバランスを見て告発した方がメリットがあると踏んでプロとしての決断をしたのだろう。ただ自分が摘み出された鬱憤を晴らしたかったからではなく、おそらく告発のタイミングではまだ感染の悪化を食い止めるオルタナティブがあって、その勝算に賭けたのだと思う。その勇気には感服する。

脇道にされるが告発というのはタイムリーでなくてはならない。全てが終わってから後出しで「実は…」とやる方がかえってタチが悪い。なぜならばその頃には都合の悪いこともすっかり隠蔽が済んでしまって、何が真実かは分からなくなってしまうからだ。

仮にこのまま何の方策の改善が見られなかったとしても、「あの時の失策」は確実に多くの人の脳裏に刻まれた。この生きた経験が次の予期せぬ事態への対応力を高める。その意味で賛否ある彼の行動に「賛」をもう一つだけ加えたいと思う。