un deux droit

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三体Ⅲが売ってない

怒涛の勢いで上巻を読み進めてしまったので下巻を求めて近所の本屋へ。しかし三件回ってどこにも置いていないという驚愕の事態。それだけ売れている、というわけではない。そもそも仕入れていないのだ。
天神で上巻を買った時も、「これだけ面白いんだからどの本屋に行っても平積みだろう」と思っていたが、最初の本屋には置いておらず、二件目には一冊ずつちょろっと置いてある程度。少し怪訝に思いはしたが、さほど気にせず店を出たのだった。
三体は、思いの外売れ筋でない。悲しい事実だが直視しなくてはならない。今時ハードカバーを新刊で即買いする人などもうほとんど絶滅危惧種なのだろう。棚自体の面積がどんどん縮小している。代わりに増えたのは胡散臭いビジネス本、漫画、ラノベのコーナーだ。「簡単にわかる」「〇〇時間で読み切れる」的な二番煎じの解説本がかなり跋扈している。日本人の知性が丸ごと沈下しているとしか言いようがない。
以前、新聞記者の知り合いがこんなことを言っていた。
「新聞なんてオワコン、読んでる人なんか全然いない、という風潮があるが、違う。社会の支配層、指導者層予備軍は変わらず読んでいる。大衆が読まなくなっただけだ。周りが誰も読んでいないというのは付き合う人間集団が丸ごと沈没しているのに、等速で落下しているから気づかないだけなのだ。」
「社会への無関心は、自分たちが社会のプレイヤーの1人として自覚できなくなっていることの証左だ。もちろん昔だって大衆はプレイヤーではなくコマの一つだったかもしれず、そのプレイヤーとしての自覚は妄想に過ぎなかったとも言える。でもその共同幻想が社会への責任感、主体性の維持に不可欠だったのだ。」
「新聞離れというのは貧しさからの余裕のなさの現れとも言えるが、それよりも社会からの絶望的な疎外感、社会がどうなろうと自分にとってはさして変わらない、という投げやり感の方が深刻だ。」
そういう話を聞いて、まさに新聞を読んでおらず社会に対しての疎外感を覚えていた私は心の中で恥いった。
その後も結局新聞は読んでいないのだが、書店の棚の衰退具合を目の当たりにして、日本がなかなかのスピードで腐っていっていることに危機感を覚えた。一部の賢い人が大衆の知性を引き上げるのではなく、むしろ愚民化して搾取しやすい存在へと塩漬けにしようとしている。エリート意識はさらさらないけれど、大衆の地盤沈下に呑み込まれてはならない。私も周囲の人間は誰も新聞を読んでいない。だからこそ私は新聞を読まなければならないのだと思っている。