「努力は報われる」「継続は力なり」「好きこその物の上手なれ」
これらは一つの現象を異なる視点から眺めた同一の用語である。
そしてそれらはすべて正しい、と私は思う。
まず、「努力は報われる」という言葉を検証する。
「報われる」というのは、ある行為を成した結果として、「その行為から得られる喜びや快楽」とは「異なる」報酬を得ることである。
「努力」というのは、「報われる」か否かにかかわらず、継続して実行することが可能な行為のことである。
対して、「報われ」ないと、継続して実行することが困難な行為のことを、「苦労」と呼ぶ。
「苦労」は報われることもあれば、報われないこともある。
報われる前に継続を断念するケースがあるからだ。
「努力は報われる」が間違っていると考える人は、おそらく「努力」を「苦労」のことだと捉えている。
「努力」は楽しい。その行為そのものが好きであり、その行為に夢中になって、没頭している。だから継続する。継続すると実力が付く。継続して実力が蓄積していくといつか外的報酬に到達することがある。もし外的報酬にたどり着く前に寿命を終えるとしても、没頭し続けている時点で「俺の努力は報われることがあるのだろうか」と自問することはない。「努力」だったものが「報われる」前に、「報われる」か否かを気にし始めた時点で、その「努力」は「苦労」に変貌している。
そのため「努力」を「努力」の状態のまま駆け抜けた人間が時たま外的報酬を得た際に、これまでの経緯をあらためて眺めてみて、「努力は報われたな」と回顧するのである。非常にトリッキーな教訓である。
今私は、テレアポが楽しいし、筋トレやランニングが楽しいし、ソシャゲの難解なステージの攻略が楽しい。それぞれ、受注であったりボディメイクであったりゲーム内報酬であったりという形で「報われ」ている。でも、たとえ報われなかったしても、おそらくそれらの行為を中断することはないだろうなというゾーンに入っている。それを楽しいを思わない人からすれば「ストイック」に見える。
そんなことを、嫌いな家事をこなすという「苦労」をしながら考えていた。