un deux droit

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保育の終わり

「私、実はもう一人で寝れるんだ」

昨日、6歳になる次女がこんなことを言い始めた。

今日も、私がトイレに行っている間に、勝手に風呂に入り始めていた。

「保育園」とはよく言ったもので、3月に保育園を卒園する次女は、徐々に「保育」の必要性がなくなりつつある。

うんちを拭くのも髪を洗うのも、ほんの1年ちょっと前には一人でできなかった。どうやって自分でさせるようにしたかはよく思い出せないのだが、どうにかこうにか自力でやらせて、やっと安定したクオリティで身の回りのことを自分でこなせるようになった。そうしたらあっさりと、親はお役御免となったわけだ。

特に感傷は無い。長女から数えてまるまる10年、子ども中心の生活を続けてきて、いい加減お腹いっぱいな気分だ。保育園の送迎がなくなり、小学校の登校の付き添いもある程度すれば不要になる。自分の好きなタイミングで好きなことをする、という当たり前の自由が、少しずつ叶っていくことがありがたい。

ゆったりとした気持ちで時間に余裕を持って出社する、というなんでもないことが本当に叶わない10年間だった。そのことに疑問を持たないくらい感覚を麻痺させないと、やっていけない日々だった。唐突に十分な時間が手元に戻ってきた時に、持て余してしまいそうな気がする。自分の時間はいつだって不定期に、しかも細切れで手に入るものだった。隙間時間で本の1ページを読み進める。隙間時間でバラエティ番組のコーナーを1セット見る。隙間時間でメールを1通送る。隙間時間でパワポのスライドを1枚作る。そうやだで騙し騙し自分を満足させ、仕事を進めていくしか方法がなかった。10m走のスピードは鬼のように速くなったが、100mや1000m走る持久力が自分に残されているのか今ひとつ自信が持てない。

やりたいことを我慢しすぎると、やりたいことが湧き上がる衝動自体を減衰させてしまうんだなというのが正直な実感。リハビリには時間を要する。