un deux droit

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豊かさを持て余す

私は18歳まで北海道の寂れた寒村で過ごした。暮らし向きが貧しいわけではなかったが、ただでさえ人口が少ない町の、中心部からさらに離れたところに実家があったもんで、小、中と同年代の子どもたちと気軽に遊ぶ機会が容易に得られなかった。当時はゲームボーイ全盛期。中でもポケモンは誰しもがやっていて、通信ケーブルを買ってもらえる少し裕福な家庭の子どもは周囲から羨望の的だった。もちろん私も通信ケーブルは持っていなかったが、たとえ買ってもらえたとしても交換する相手が近所にいなかった。徒歩圏内に駄菓子屋なし、雑貨屋なし、おもちゃ屋なんてもってのほか。年に一回、クリスマスの時期に車で1時間半かけて大都会の旭川(!)に馳せ参じ、「オモチャのたもちゃん」でプレゼントを買ってもらうのが唯一のおもちゃ屋体験だった。サンタなんて粋な風習は我が家にはなかった。

「オモチャのたもちゃん」は2021年に閉店されたようですね…
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友人なし、娯楽なし、じゃあ大自然があるじゃないかと言うかもしれないが、厳しすぎる大地のせいか、集めて楽しい活きの良くデカい昆虫がいるわけでもなく(九州の虫のデカさは半端なくいつも男の子は目を輝かせている)、川はエキノコックスがあるから気をつけろと言われて近寄りがたく、自転車でどこまで走っても景色が変わるわけでもなく、年の半分は雪に覆われるという柵のない監獄みたいな土地で、子どもらしい感性を育む環境としては厳しいものがあったように思う。


そんなわけで、私はわがままを言わない子どもとして育った。反抗期もなかった。わがままを親に言ったところで環境的に適わないと悟ってしまうことがほとんどだった。おやつ食べたい→どこに店がある?オモチャ欲しい→どこに店がある?習い事したい→どこでやってる?遊園地行きたい→どこにある?欲求を満たす術がないどころか、同級生と共に過ごす時間も短いために、あの子の持っているアレが欲しいといった欲求を刺激されること自体も少なく、極めて自我の乏しい子どもだったと思う。親としては育てやすくもあり、いささか不気味だったかもしれない。平成のラプンツェル。何度もクリアしたゲームをやり直し、何度も読んだ漫画を読み返して日々が過ぎていった。

その自分の境遇を哀れとも思っていなかったが、自分の子ども達には制限する理由もないので好き放題おやつを与え、おもちゃを買い、習い事をさせ、遊園地や動物園、公園を行脚し、服も日用品も再現なく増えていっている。友達の数も潤沢で、流行り廃りが目まぐるしい。なんでもAmazonで買え、誰とでもwebで繋がれる。自分の幼少期と比べて豊かだなぁ、贅沢だなぁ、としみじみ思う。

一方で、自分と比べてしまうから良くないのだが、子どもの環境に対する感謝の薄さにイラっとすることが多い。街を歩けば自販機を見つけてジュースが飲みたいと喚く。コンビニやスーパーに行くたびにおやつをねだる。やりたいことが無限に湧き出てきて、それが叶っても当たり前の顔で、叶わないと不貞腐れる。いや、もっと一つ一つのことをありがたいなぁと噛み締めろよ、十分満足したからこのくらいにしておこう、と遠慮しろよという気持ちになるのだが、産まれてこの方、何もかも「有る」ことが「難く」ないのだからそんなことを期待しても無駄だよな。君たちが欲張りなのではなく、お父さんが狭量なんだよな。そう言い聞かせているが中々上手くいかない。なんでも思い通りになることは良くないことだ、と幼少期に植え付けられてしまった価値観に未だに束縛されている。

なんでも思い通りになってもバチが当たらないほど、現代はモノと選択肢に溢れている。なんでも手に入るからこそ自分は何を求めているのかということと向き合わなければならない。「自分が手に入れたい事について口をつぐむ」のが生きる術だった私とは正反対の戦略が求められる環境を、子どもたちは生きている。主張し続けていかなければいけない人生も大変だなぁ。