un deux droit

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女児、半日会わざれば刮目して見よ

夕方、次女を保育園に迎えに行ったら、今まで一緒に遊んでいるのを見たこともない、名前も知らない男女四人組で、楽しそうに砂場遊びをしていた。「〇〇くんと△△ちゃんと□□くんだよ」と、何を今更と呆れたような口ぶりで、次女はニューフェイスの紹介を片付ける。次女はちょっと前まで仲良しの女子グループと形成して、その数人としか遊んていなかった。それが先月辺りから馴染みの男の子ができて、そのことばかり遊ぶようなことになったことを嘆いたばかりだった。
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なのに今ではその男の子とも関係がおざなりになり、また新たなメンツにちょっかいをかけている。その次女の社交性というか、移り気の早さについていけないでいる。

次女は食卓でも、得意と言っていたピーマンが苦手だと言い出したり、納豆はひき割りでないと食べないと言っていたのに急に飽きだしたり、レタスときゅうりのサラダを出すと不機嫌になっていたのに、急に「なぜ私の皿にはサラダがないのか」と憤慨して、ドレッシングをかけもりもり食べたりと、食の好みの移り変わりが激しい。うっかり買いだめすると、急にブームが去って在庫処分を私自身がする羽目になったりする。風呂でもつい最近までは「パパのシャワーは強すぎる、痛い」と泣き喚き、全力の半分くらいの柔らかい水圧しか受け付けなかったのに、今日急に「シャワーが弱すぎる」と言い出して、全開パワーの水圧を平然とした顔で受け止めている。

そんな奔放な次女の姿を見て触発されるのか、長女も「わたしもそれとおなじことがしたい」と追随するシーンをよく見かける。自分からは言い出せないけれど、人がやっているのを見るとしたくなるようだ。そんな光景を見ると、あまり自覚なく、長女には首尾一貫した態度を期待して、翻意を許していなかったかもしれないと反省する。本来は次女くらい人の考えや好みや価値観というものは容易に変わるのかもしれない。朝言っていたことは夕方には影も形もなくなっている。そういう前提で子どもと向き合っているほうが健全な距離感で親子関係を継続できそうな気がする。

かつて、男子、三日会わざれば云々とのたまった人は、女子の目まぐるしい変化を見落としていたのではあるまいか。女子目線であの格言を捉えると、「おま、これしきの変化や成長に3日もかかるの草」となる。