un deux droit

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お前に娘はやらん

次女(5歳)が随分おませになってきた。

どうやら保育園で好きな男の子ができたらしい。

その男児の名は「スダマサキ」に聞こえる語感を有しており、名を聞くたび菅田将暉がリフレインするので、もうここでは菅田将暉と呼ぼう。娘はお迎えに行くと、「きょうは菅田将暉とこんなことして遊んだ」とはゃぎ、朝に送るときは「菅田将暉今日はもう来てるかな」とソワソワする。ちょっと前までお迎えに行っては「もっと早く迎えに来て」といい、送るときは「行きたくない」としぶっていたくせに、菅田将暉に惚れ込むようになってから、早く行こうよ、もう迎えきたの?と掌返しにあっている。そういう現金なところが微笑ましい。

幼少期の惚れた腫れたは後世になんの影響もないので受け流しているが、娘の男を見る目についてはやはり心配になる。これまでさんざんだめな男を見てきて、男の中には相当数のハズレくじが含まれていることを私は知っている。男なんてギャンブル狂、色狂、アル中、凶暴、変質者のどれかに決まっている(暴論)。その中からより有害性の弱い人間を慎重に選ばないと女性は必ず不幸になる。できれば生涯独身のほうが幸せなんじゃないかとすら思う。多かれ少なかれ女性は男性に利用されてしまう。男性のそういった負の側面による災厄を女性が肩代わりする(借金返済、暴力の矛先、性欲の捌け口etc...)という形によって。

さて問題の菅田将暉だが、外見は菅田将暉というよりさだまさしに近く、取り立てて醜悪でもないが知性やオーラを感じさせはしなかった。ちなみに菅田将暉の母親はドラクエのバーバラのような格好をした主張強めな出で立ちで気後れする。にかるでもなく気の利いたことを喋るでもなく、始終ニタニタしている。娘よ、どこが良かったのだ。

菅田将暉は、ウチの娘が好き好きというもんだからその熱がまわりの女性陣に伝染して、ちょっとしたモテ期が到来している。就学前の幼児期には、本人の資質や魅力とは関係なく、ちょっとした入力の誤差で突如としてランダムな個人にスポットライトが集中する。菅田将暉もまんざらでない様子で、突如として訪れたモテ期を堪能してやや調子に乗っている。その増長の発端がわが娘だと思うと、なんて残酷なことをしてくれたのだと思う。彼の人生最大のモテ期は保育園だぞ。南海の山ちゃんと同じじゃないか。彼の以降長く続くであろう暗黒期に思いを馳せて憐れに思う。しかし菅田将暉が私に向かって「なんていっつも父ちゃんばっかり送り迎えなの。母ちゃんいないの」と軽口を叩いたことは許さない。お前に父ちゃんと呼ばれる筋合いはない(違う)。そしてまだ離婚はしていない。でも送り迎えが9割方私なことはやはりシングルスメルを漂わせていることは間違いなく、その時間玄関にいた親御さん達のなんとなくの視線を感じる。ほーらもう変な空気になっちゃったじゃねーかデリカシーのないやつめ。早くモテ期終われ。

それにしても大人から見る美形の男女が必ずしも幼少期から脚光を浴びるわけではないことはとても興味深い。娘の一番の友達みおちゃんは、橋本環奈の再来ってくらい抜群のべっぴんさんで、将来ファンクラブができたりして原宿でスカウトされるような類の造形だが、今のところ男の影はまるでない。男児も内田篤人似の超絶爽やかで、礼儀もしっかりした子がいるのだが、保育園内ではまるで目立ってなく、しばしば一人で遊んでいる。娘よ、絶対こっちのほうが当たりだって、と心のなかで叫ぶのだが、娘に限らず女子は誰一人内田篤人に見向きもしていない。きっと、幼い頃からチヤホヤされすぎると人間として伸びない、っていうことが暗黙知化されていて、幼少期の女子は捨て駒のような男に群がるようプログラミングされているのかもしれない。残酷な本能。