un deux droit

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結婚に期待した私が馬鹿でした

大人になったら、なんてことを考える機能が私には備わっていない。

未成年の自分が割としっかり目にイメージできたのは、20代のうちに結婚して、子どもは二人くらいほしいな、ということくらい。しかもその根拠は特にない。なんとなく、妻も子どももいない人生なんて嫌だ、と思い込んでいただけで、なんで嫌かという深掘りまではしていなかった。おかげさまで一応思った通りに家庭を持ったが、その後にしたかったことがないので、もう人生ゲームを終了したくなっている。

仕事は仕事で、これくらいの大学に行けば、どう転ぼうとも30代には1000万くらいもらっている仕事にありつけているだろう、くらいの甘々の想定しかしていなかった。ちゃんとビジョン持って働いている同窓生でも1000万超えはごくごく限られた人間だけ(医者か商社か外資コンサルかベンチャー経営くらい)で、そのどれの仕事を得る努力もしなかったし、したくもなかったし、別に1000万もらってしたいこともなかった。ただ、1000万もらっているというアイコンが欲しかっただけだった。

ここしばらくお腹の調子が悪いのだが、これがもし何らかの病気だったとしても確認する気が起きないでいる。20代のときのように好き勝手食べていても一向に太らないのは逆に何か不具合があるのかもしれない。希死念慮はないけれど、死の病ならばそれはそれで寿命として受け入れて野垂れ死にたいくらいには生きる気がない。

こんな風来坊の私が唯一、生へ執着する可能性があったのが愛する人との暮らしだったと思う。この人と一緒にいることが幸せでたまらないから、長生きしたいし、いっぱいお金も稼ぎたい、健康でもいたいと欲が出る。それが結果的に長寿延命に繋がったはずだ。今は残念ながらそれがない。いろいろあって、妻への愛情、関心がなくなってしまった。

妻は人に対する関心がそもそも薄く、人に執着しなくても全然平気で生きていける人間なので、気に入らない人間は躊躇なく切り捨てられる。人間より動植物が好き。そういう人と一緒に暮らすのはかなり虚しい。嘘もつかず隠し事もせず人間として信頼できるし聡明だとも思うけれど、それだけじゃやっていけない。自分がいっぱい頑張って献身して愛情を示せば向こうにも愛情が芽生えると思っていた。しかし元々愛情が薄く、それが必要とも思っていない人がいるということを知らなかったし、それを見極める目もなかった。妻から見れば私にも耐え難い欠陥がいくつもあるのだろうし、聡明な妻もまたそれを見極める目がなかった。その意味では悪い意味で似た者同士だったのかもしれない。

とはいえ、ふと冷静に周囲を見渡すと、なんでこんなやつと結婚してくれる女性がいるの?というような男はゴロゴロいるので、私が思い描くような幸福な結婚生活を享受している家庭なんてほとんどないのかもしれない。そもそも動物として考えれば、子作り・子育てが終わったあともずっと添い遂げるなんて不自然なものなのだし。所詮、結婚など墓場にすぎないのだとすれば、その墓場に人生の幸福の殆どを賭けた視野の狭さと、自分だけは墓場にしないという驕りを反省して余生を過ごしたい。

今週のお題「おとなになったら」