un deux droit

このブログには説明が書かれていません。

王の器

今週は才能の限界を感じた、というか、元々才能なんてなかったんだけど、それがわざわざ明るみになる出来事が多かった。

それは例えば新規事業のコンテンツのアイディアが出なかったり、いい筋の原稿が書けなかったり、といった形で現れる。全部自分の蒔いた種。そんなだいそれた構想力もないのに、新規事業立ち上げの真似事に手を出してみたら、案の定アイディアはすぐに枯渇する。高邁な主張があるわけでもないのに雑誌の編集長など買って出てみたら、ネタはすぐに尽きる。巻き込んだ周囲の人間も、私がけしかけたから面白がってついてきているだけで、本人単体で何かアイディアがあるわけではない。私がなんでもいいからプロトタイプをこしらえれば、それを足がかりに発想することができる人は山ほどいる。でも最初の原石を放り込んでこれる人は本当に少ない。

今日は隣接する事業の会議に呼ばれていった。とあるキャンペーンをやりたいと思っているのだが、どうやって進めたらいいか打ち手を決めかねているとのこと。聞けば、やりたいなぁ、と想い至ってからかれこれ10ヶ月も塩漬けらしい。心の内で想い慕っていればいつか相手から振り向いてくれるはず…なんて乙女チックなことを夢想しているだけで給料もらっとんのかこいつら。一つ一つ課題を解きほぐしていくと、なんのことはない、ただ顧客に送付するDMの本文に誰も着手しなかっただけなのだ。さっさと恋文を書けやボケが。メンバーから要件を聞き出して、会議を終えたあと5分ほどで書き上がった。

「あんどうさんのおかげで、スタックしていたタスクがようやく動かせるようになりました」

蟻だって1年あれば堤防壊せるぞ。小石をどける程度の作業に二度とスタックとか使うな。

こんな程度の会社に勤めているのだから、新しいことを始めようとか面白いことをやろうったって一人でやるしかないんだよな。

優秀なメンバーが集って何かを成し遂げようとするときは、きっと私はただの歩兵に成り下がるだろう。王将でいられるのは自分が能力面で相対的に優位だからだ。王より優秀なメンバーを集めて面白いことをやろうとしたときにまず起きることは王の解任だ。組織が王の器以上にならないというのはそういう理屈。

魅力的な人と楽しいことをしたければ、まず自分がそれ以上に魅力的にならなければならない、ということはとても冷酷な原則である。