un deux droit

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丸投げと信託の境目

今日は顧客に年3回送付する会報誌の企画会議。4月から名ばかり編集長という名誉職をいただいたので、次号より私の名前が編集責任者という項目に小さく小さく記載される。その記念すべき初回号について、全体コンセプト、各号のコンセプト、連載記事のコンセプト、原稿イメージ、ウェブサイトとの連携、取材先の確保、役割分担などをサクサクと決めていく。

私の実務といえばせいぜい、「こんな企画がやりたい」というアイディア出しと、何か会社として発信するメッセージを載せておかないと体裁が整わない箇所についての原稿を書くくらいのものだ。企画の意見自体は編集メンバーも含めみんなでワイワイ出すし、実際の取材の取り付けやインタビュー内容の吟味、当日のインタビュー、原稿の構成、デザイナーとの折衝などはメンバーが勝手にやってくれる。私の編集長としての役割があるとすれば、メンバーが勝手にやりたいと手を上げ、気持ちよくやり切ってもらえるために、チームをいい雰囲気で保つことと、その役割のそれぞれが、その人にしかできないことであるからして大変感謝していると承認することくらいである。

とりあえず新体制が発足して半月が経過したに過ぎないが、「こんな記事を発信できたら面白い」とワクワクを共有した軽い興奮状態を共有しながら今のところチームを動かせている。

全体ミーティングが終わったあと、あるメンバーに声をかけられる。彼女は、外注デザイナーと連携して紙面に落とし込む任務だ。「あんどうさんの中での、この特集のデザインイメージはどんな感じか?特集の見出しは?挿入する写真はどんなアングルで?」などなど、質問を矢継ぎ早に受ける。

彼女は前職で広報誌制作をやっていたこともあり、イラレも普通に使いこなすし、芸術の素養がある。かたや私はただ無駄に社歴が長いだけで今の名誉職にありついただけで、知識も能力もない、ただの原稿書き屋だ。私は率直にこう伝えた。
「私は単に社歴が長いせいで、成り行きで編集長風情の振る舞いをしているけれど、実際の能力も経験もない。ついでに言えば権限もない。だから私に遠慮しなくていい。この関係は対等だ。あなたがいつかこの会社を辞めようと思ったとき、転職の面接でアピールできるような作品作りを、会社の金を使って好きにやれると捉えてほしい」

白けられるリスクはあったけれど、幸いにして彼女は意気に感じてくれたようで、でしたら遠慮なく、と、惜しみなくアイディアを披瀝してくれた。私は私でそのアイディアを丸呑みするのではなく、だったらこういうのはどうかな、と果敢に攻めてみた。すると彼女は、いやそれはこういう理由であまり良くないです、と打ち返してきてくれた。よしよし、ちゃんとダメ出しも臆することなくしてくれる。こうして私と彼女のアイディア採用比率的には2対8くらいの紙面レイアウトが組み上がった。ミーティングの終わりに「こういう仕事がやりたかった」と彼女から満足気な反応が返ってきたので、自走して意欲的に取り組んてくれる下地ができた手応えを感じた。

チームの運営をするときに、メンバーにはできるだけ自由に動いてもらって、才能を余すところなく発揮してほしいと願っている。しかしただ仕事を任せるだけだと無責任な丸投げになってしまう。基本任せると信頼を寄せて貢献に感謝しつつ、要所要所でビジョンやコンセプトを提示したり、決定・判断でイニシアティブを取ったりと方向性を示し前に進めるリーダーシップの発揮が求められたりして、その塩梅が非常に難しい。独裁も丸投げも、ただつつがなく物事を完了させる上では手っ取り早く、いつでもその誘惑に駆られる。しかし、せっかく集団で力を合わせて一つの物事に取り組んている以上、個人プレーの寄せ集めでは到達出来ないような成果を手にしたい。

人の力を足し算でなく掛け算にするための実験機会を、マネージャーでもないのに得られるなんてラッキーだ。自分がまだ知らないメンバーの能力をどれだけ引き出せ、まだ見ぬ一面をどれだけ垣間見ることができるかとても楽しみだ。