un deux droit

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お金で買えない価値にお金を払ってください

今日は顧客向けに配布している業界誌の原稿執筆日。昨日の経営方針発表会に対する怒りに任せてスパイスの効いた文面が出来上がる。おおむね完成したところで終業時間中のランニングに興ずる。走りながら先ほどの原稿の文末のアイディアと年度末の評価面談のシナリオの整理ができる。アイディアをまとめながらだとついラン自体が疎かになってペースが落ちてしまうのだけれど、思考を効率良くまとめるのには単純な運動がなぜか効果的で、最近は思考が詰まった時にランニングを多用している。脳に適度に揺さぶりをかけると余計な枝葉が落ちて伝えたいメッセージの起承転結がクリアになるのかもしれない。
閑職であるために自由に時間を使い、健康を維持しながら思考力を磨かことができる環境を得ていることには感謝すべきだなとも思う。自分の頭からまだ誰も言ったことのない洞察が引っ張り出される感覚は爽快で、その思考の結晶を眺めて陶酔するのが人生の悦びになっている。
とはいえ一応社内の知恵袋として貢献はしていると自負しているので、その部分はしっかり評価してもらってお給金につなげなくてはならない。この会社の経営陣は金稼ぎのことしか考えておらず、一番顧客から金を巻き上げた人間が偉いと信じて疑わない。なので面談では産業構造の話を例えに出そうと考えている。

私は言うなれば農家だ。あなたたちは営業が一番偉いと思っているが、営業も商品がなければ売りようがない。必ず誰かが知恵という果実を加工して売れる状態にしている。しかしその加工する人も実は大元の知恵の果実を生み出していない。
例えばセミナー講師はカリキュラムを自ら構築していない。私が構築したシナリオを暗記しているだけである。自分なりの話術で効果的に伝える「加工」はできるけれど、そのカリキュラムがオワコンになったら次の流行りを自ら生み出すことはできない。
そのセミナーを売ってくる営業はなおのことカリキュラムを詳細まで把握しておらず、その効用の部分を魅惑的に吹聴して回るだけだ。
こう順々に考えていけば、誰が一番希少価値が高いかは一目瞭然で、その処遇があまりに低いのではないか。私が臍を曲げて退職したとしたら、そののち、社内に新たな価値を考案する人はいるのだろうか。昔取った杵柄だけでいつまで飯を食っていけるだろうか。確かに地味で目立たず、顧客からは最も遠い日陰者だ。私とて自分の考えをスピーカーとして拡声してくれる人がいて、それを売って回る人がいるから自分のアイディアが世に出回っているという意味で持ちつ持たれつなことは承知している。ただもう少し知恵を使っている人に敬意を払い、地位を向上してくれる取り計らいを願いたい。
…うーん、自分で書いててこれは伝わらなさそうだなぁ。
農家が所得安いのも、会社の研究所が金食い虫として潰されるのも、大学で基礎研究が軽んじられるのも、すべて同根。換金の効率性こそが大事で、それ以外のことを価値と認めない、という拝金主義者につける薬はない。やっぱり安月給でも定期収入があって拘束が少なく自由に思索に耽ることができること自体でよしとするか。あーまとまんねー。また走ってくるか。