un deux droit

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継続こそ才能なり

長女が今月頭から、夕食時に卵焼きを焼くことにハマっている。どんな献立でもお構いなしに卵焼き。これがなかなか味付けや焼き加減が上手で、褒めているうちに習慣になった。

そんな彼女が、今日の調理の際、フライパンを触ってしまい手の甲を火傷した。ちょっと赤く腫れる程度には焼き付けてしまったようで、そのことに彼女はショックを受けていた。

風呂上がりに彼女は、「卵焼きを焼きたい気持ちがなくなっちゃった」とこぼした。こんな嫌な思いをするために頑張ってきたんじゃない、と。私は「あなたがやっていることはそれだけ難しくて大変なことなの。それに挑戦しているのはすごいことなんだよ」と伝えた。彼女はしばらく考えた後、「明日からも続けるから、私が卵焼き頑張ってること、今度の個人面談のときに先生に絶対言ってね」と伝えてきた。一度くじけかかった心をなんとか持ち直してくれたみたいだ。

継続は力なり。義務教育期にはよく耳にしたフレーズだ。当時の私は何を当たり前のことを、とバカにしていた。継続のどこが大変なのかと思っていた。継続の大変さは大人になってからこそ身に沁みて感じる。やるべきこと、役割、ストレス、娯楽、そのどれもが溢れるほどある中で、なんでもいいから一つのことを毎日続けることがいかに難しいことか。読書でもいい。筋トレでもいい。それこそブログでもいい。会社で手酷い失敗をしても、パートナーと深刻な喧嘩をしても、付き合いで深酒をしても、一定量を毎日こなし続けるのだ。

これだけやったのにちっとも成長しない、変化が感じられないと落ち込む日もある。なんで自分一人でこんなことを続けているのだろうと虚しくなることもある。他の人と比べて自信を失うこともある。純粋に飽きることもある。そんな様々な雑念を囚われず、ただ淡々とやり続けるのだ。結果や成果を求めずやり続けること自体を目的とする。ある意味我を失って、無心でやる。そしてたまに正気を取り戻して自分を客観視すると、とんでもないことが苦もなくできるようになっている。

どんな人間でも継続さえしていればとんでもない境地に達することができるのかは分からない。それだけ物事を継続できる人自体が稀有だからだ。継続が必ず力になるとお墨付きを与えることはできないが、それが万人にできるわけではない特殊な才能であるということを子どもには伝えていきたいと思う。