un deux droit

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馴れ馴れしさと他人行儀

今日は早朝から日用品のリフィルをめぐって喧嘩。使い切ったのにリフィルしなかったことに怒ったのではない。勝手にリフィルしたことに怒ったのだ。
朝起きると、空のボトルが目につくところに置いてあった。これは補充せよとのメッセージだなと受け止め、パントリーにある新品と差し替えたのだが、妻は起きてくるなり「ここに置いてあったボトルは?」と戸惑っている様子。「ボトルなら捨てて、新品を定位置に補充したよ」と伝えると、「リフィルしたならしたことを明確に伝えてくれないと、状況から類推して事態を把握するのに負荷がかかるし、残りストックの計算が狂う」とご立腹。
妻は家中の日用品の在庫の状態を全て把握していると豪語するのだが、そこまで高性能な脳をお持ちなのに、「あるはずのものがない」というエラーが起きた時に、「どれ、元の位置を見てみるか、やや、ボトルが戻ってる、持ち上げると満タンだ、これは夫が差し替えたのだろう、ゴミ箱を見ると空のボトルがあるじゃないか、じゃあ在庫のカウントを1減らしておこう」と処理することはまるでできないというのは、整合性に欠けるように思えてならない。でもそこを争うのは不毛なので、あなたが「助かったな」と思える手順でのみ親切心を働かせると誓約。この業務プロセスの逸脱について全く不寛容であることが窮屈でたまらない。

昼食時、食事をシェアする際、妻の使っているカトラリーを使わずに取り箸を新たに出した。その行為について妻は「何でそんなによそよそしいわけ。まるで会社の同僚みたいじゃない。敬語もやたらと多いし、そうやって遠ざけるようなことをすると家族として距離を縮めたくないのかなと思ってしまう」と傷ついたようだ。
私からすると、自分の存在を「この女性とは赤の他人のオッサンで、成り行きで同居しているので極力不快にさせないようにしなければならない」という設定で生活しないと、妻の嫌がる業務プロセスの逸脱を防げない。妻が私と対等で親密な関係を望むなら、相手のやり方や考え方を尊重し、自分の好むやり方に固執せず、妥協点を探るオープンな態度を欠かしてはいけない。運営コマンドは何一つ譲らず上司部下のように非対称な状態を堅牢に維持するが、心の距離は緊密に保てというのは無茶な話と思うのだが、妻からするとなぜその二つの事柄が絡み合うのか全く理解できないらしい。そこを切り離せと執拗に迫ってくるので憔悴しきりである。
妻からのLINEは憂鬱で、いつも何か不穏な予兆じゃないかとビクビクしている。今日は夕方に妻を家に残し子どもたちと3人で公園に出かけた。あまり連絡しないと怒ることがあるので「もうちょっと遊びそう」「もうすぐ帰ります」と定期連絡を欠かさない。「帰る」とLINEを送ってから、子ども達がぐずったり寄り道したりして10分ほど経過した際、「どこにいるの」と恐怖のLINE。「子どもを移動させるのに手間取り、まだ〇〇の前までしか来れてません、すみません」と送ると「ただ窓から手を振ろうかなと思っただけです。咎めてません。ごゆっくり」と返信。こんな調子で日々肝の縮む思いをしている。自分が過敏に警戒しすぎだなと思って油断していると、全く同じシチュエーションで「もうすぐ帰ると言ったから〇〇の準備したのにちっとも帰ってこないじゃない、私を蔑ろにしている」と面罵されるケースもあるのだ。できるだけ丁重に下手に出ておくに越したことはないが、やりすぎると他人行儀と裏目に出ることもあるのがやりきれない。常に妻がカードを後出しできる何の面白みもないゲームだ。
妻の求めるパートナー像に合致する男性ってどんな人なんだろうなぁ。自分の独自の意見を持っているが、それは必ず彼女の許容範囲に収まっている。理屈上、彼女の発想を常に下回っていることになるのに、そのことに不満を抱かせない。まぁつまり彼女は自分がもう1体欲しくてそれ以外はどうやったって不満なのだよ。
アイシールド21に金剛阿含というチートのキャラが出てくる。彼は「俺が22人いればドリームチームだ」とのたまう。対して蛭間は「同じコマ22枚なんてチームほど、ブッ殺しやすいカモもねぇわなぁ」とカマす。たまにはこの戦いの結末を目に焼き付けていただきたい。


妻の空集合シリーズ
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