un deux droit

このブログには説明が書かれていません。

一般成人男性サンプルの隅から見える光景

今日は久々に客先訪問の日。2ヶ月ぶりにスーツに袖を通す。

今日のお客さんは4年前に部署移動で東京に単身赴任をし、先月こちらに帰ってきたばかり。帰郷早々仕事を2本くれる大盤振る舞い。商談は30分ほどで終わってしまい、このまま帰るのも忍びないので東京生活の話に水を向けると「奢るから昼飯に行こうよ」と誘われた。

そういえば同じくらいの子どもがいたなぁと思い出して、「お父さんが帰ってきたらさぞかしお子さんたちも喜んだでしょう」と話を振ると、「逆に居心地が悪い」とのこと。お子さんはこの4年間で小学校に上がりもう自分の世界を築いている。単身赴任中は数ヶ月ぶりに帰ってきては別れのたびに大号泣され、ということを繰り返してきたそうで、子どもにとってはかなり寂しい日々を過ごしたのだろうと思った。
そして驚いたことに単身赴任中に下の子が生まれており、下の子とは生まれて以来初の同居とのこと。下の子は下の子で、お父さんがほとんど家にいない設定に慣れすぎていて、帰るたびに「なんでかえってきたの?」と言われる始末だという。

親はなくとも子は育つ。それはきっとそうなのだろう。でも私はそのお客さんの子ども達を不憫に思った。お客さんが穴を開けた空白の4年間がいかに濃密な時間であるか、私は日々実感しながら生活している。いくら本人の同意の上とはいえ、親子を引き離す人事異動を持ちかける会社は残酷だなぁと思った。この4年間で彼は家族と過ごしていては得られない経験•体験を存分に味わってきただろう。けれどもその空白の記憶はこれからの生活をどう過ごそうとも決して埋まることはない。その一生の欠落感と引き換えにして割りに合うほど単身赴任の4年間が価値の高いものだったとは、私にはどうしても思えないのだ。どうせおっさんどもと好きなだけ飲み、好きなだけゴルフに行っていただけなのだから。
古臭い考え方なのかもしれないが、父親とて子どもを世に産み落とした責任の半分を持っているのだから、成長を近くで見守り、時には衝突し、言葉を尽くして向き合い続ける努力義務があると思ってしまう。それはその方が子どもがよく育つとか打算的なものではなく、自分が幸せを感じるというメリットからでもない。育てるまで含めて親の役割だろうよ、やる•やらないを選択できるもんじゃねーんだよと思うからだ。

彼も悪意があるわけではない。きっと勤め先の周囲に親としてのサンプルの種類があまりに偏っているだけなんだと思う。転勤命令でたら呑むのが当たり前、休日も会社のイベントがあれば優先するのが当たり前、家族と満足に過ごせなくて当たり前。群れの不文律を乱してまで、自分が本来どうありたいか、あるべきかを考える人は少ないのだろう。私も別に世の男性へ見せつけるために家事育児へとコミットしているわけではないけれど、一般成人男性のサンプルはもっといろいろあるよと気づくきっかけが思いがけず提供できたらいいなと思う。でもとりあえずランチごちそうさまでした。