un deux droit

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断片的な存在

今週のお題「下書き供養」

1年半くらい前の下書き。


クララが立った。


いや、下の子がついに自力で歩き始めた。

成長への喜び、無限抱っこからの解放感とともに、親としての役目がこうやって無くなっていく一方であることに、ほんのちょっぴり寂しさを覚える。

普段は早く親業から解放されてぇと四六時中思っているくせに、調子のいいことを言っていると我ながら思う。

残りの子どもとの時間の中で、何を残してやれるだろうか。何を伝えられるだろうか。突き詰めていくと、ほとんどないような気がする。

自分自身のことを振り返ると、親から学んだり、伝えられたことはほとんど記憶に残っていない。親は親なりにあれやこれやと苦心して育ててくれたのだろうけど、残念ながら親不孝者の私はその思いを大切に受け止めて育って来なかった。

親との記憶。

5歳くらいの頃、父親の趣味だったバイクに2ケツして、Rのきついカーブで遠心力に耐えられず振り落とされて、肘と膝をひどく擦りむいたがそれで済んだこと。1分もしないうちに大型トラックがすれ違い、タイミングが悪ければ一発で天に召されていたことを想像して、父親の顔が蒼白になっていたこと。帰宅後母が鬼の形相で父を罵倒し、泣く泣く愛車を手放したこと。

同じく5歳くらいの頃、母親の作る大豆の煮物が嫌いで口をつけなかったら、母親はなぜかこの時だけ頑なに、完食するまで私を食卓に縛り付けたこと。私も必死に食べることを抵抗したが、1時間以上たって私の心が折れ、泣きべそをかきながら完食したこと。

小学生の頃、急に父親が断酒をはじめ、2年くらい一滴もアルコールを摂取しないで健康を取り戻したこと。

同じく小学生の頃、敬老の日に母方の祖父の家でパーティーをしていたら、理由はわからないが終盤になって急に祖父が父に激昂して、皿を投げたり掴みかかったりして流血騒ぎの修羅場となり、割れた皿で負傷して血を流している母の腕に抱かれて外へ避難したこと。

中学生の頃、母が鈴木その子にハマり、三食が全て粗食にシフトチェンジして、お菓子やジャンクフードの類が家から一掃され、成長期の健全な発育を一定程度阻害されたこと。

高校生の頃、母が更年期障害になり、家出をしたり急に泣き喚いたり、といった暗黒の日々が続き、このまま親は離婚するんじゃねーかと覚悟したこと。

私が地元の難関大に合格したら、今までの子育てが全肯定されたと思ったのか、それまでの症状がすっかりなくなって元気になったこと。


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ここまで書いて挫折していた。当時の感傷がすっぱり消えているので、今なら簡単に結論が出せる。


断片的に思い出せるエピソードをかき集めても、両親が私にどのような思いで子育てをしていたのかは判然としない。子どもにとって親はそれくらいの影響力で良い、と達観し、影響を受けるものは自分で選び取る自立性を伸ばしたい。