un deux droit

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上手に離婚できる人を尊敬する


昨日、嵐が吹き荒れて、6年間過疎っていたこのサイトの累計アクセスがついに1万を超えた。ちょっと巨人が横切っただけでこの影響力。世の中にはこんなに人いたのね。過疎地に生まれ育った身としては過疎に慣れ過ぎてて逆にこれまでのアクセス数でも平気なツラして運営していた神経の鈍さを恥じる。お前才能ねーよな、と。

今日は起きたら枕に血が滲んでいた。痛みはないが、まだ傷口は塞がっていないようだ。シャンプーしたら瘡蓋が剥がれるのかもしれない。とりあえず今日もランニングは控えよう。


「もう別々に暮らそう」

昨日はいよいよそんな話を持ちかけたが、今更無責任だとか何だとか散々罵られた挙句、なぜかまた元の鞘に戻って平気な顔して共に暮らしている。ゴタゴタの騒音の一部始終に耳を傾けていたご近所さんがいたとすればコイツら頭おかしいと思うに違いない。
互いに互いの存在が不幸にさせているならそんな環境下で子どもを育ててもいい影響がないと思うけれど、なぜか最終局面には踏み出せない。結局妻も口では1人でやっていけるというが、本当にその覚悟はないのかもしれない。かくいう私も妻に子ども2人を任せて立ち去る勇気はない。昨日は本当にもうダメかもと思って離縁を申し出ようと奮い立ったけど、相撲の立ち合いみたいにうまく息が合わないと踏み越えることは難しいようだ。
子どもはどっちの選択を恨むだろうか。諍いの絶えない共同生活のストレスにさらされ続けることと、片親しかいない喪失感に晒され続けること。私は親が離婚していないので、どういう心境になるのか想像がつかない。幼少期にはまだ片親家庭はマイナーな存在だったし、少ないサンプルを思い起こせば皆不幸そうだった。何となくだけど、中学生くらいまではやはり両方いないと子どもの心に暗い影を落とすのではないかと思っている。今は時代的にそんなことないのかな。
妻は離縁したら親権は絶対に渡さないと言う。まぁそうなるだろうと思う。私と違って教育熱心だし計画的だし稼ぎもあるので良くあるシングルマザーの貧困みたいなことには陥らなそうだ。最大の問題はハラスメント気質。いま私に向いている刃は本当に子どもに向かわないだろうか。私が体のいいサンドバッグの役割を果たしているのだとしたら、たとえ不仲であっても子供に直接危害が及ぶことを代わりに受け止めているので関係を続ける価値はある。しかし本当に彼女の言うようにストレス源が私ならばいなければストレスがそもそも発生しないから子どもに危害は及ばない。この辺りの見極めは本当に難しい。仮に子どもに危害が及ばなくとも、彼女の支配的かつダブルバインドを多用する指導手法は子どもの成長に良いのだろうか。私の適当で無目的な生活スタイルよりは良いような気もするが、精神的に健やかでいられるのかはわからない。その意味でも緩衝材というか、逃げ場としての私の存在があった方がいいようにも思う。
子どもがいながら離婚できる人はどういうロジックを組み立て、話し合って、環境を整備しているのだろう。できちゃった婚で無責任に男が蒸発するのとかではなくて、だ。別々に暮らすけれどもたまに会うことは誠実に守り、ちゃんと養育費も入れ、子どももぐれず、別れたからこそお互いの存在をいがみ合わず一定のリスペクトを払い合える。そんなファンタジーな離婚後の形ってあるのだろうか。事例求む。