un deux droit

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愕然とさせられた『十五の夏』

佐藤優氏の十五の夏、読了。


著者が1975年、高一の夏休みに、東欧とソビエトを一人旅した時の旅行記だ。


内容は、圧巻の一言。これに尽きる。

そして、私の劣等感をざくざく刺激する内容であった。


15歳の段階でこれほど人は成熟できるのか、と開いた口が塞がらない。

そして、自分の15歳時点の出来上がりと比較して、いちいち嫌になる。

恐らく30を超えた今の自分の成熟具合は、佐藤さんの8歳くらいとギリギリいい勝負だ。

そう思えるくらい人としての質の差を感じた。

そもそも高校入りたてでソビエトに行こうと思いつくか?

高校一年生の自分にとって外国は教科書やテレビのニュースの中にしかない存在で、実際の土地やそこに住む生身の人間を想像することなどしなかった。架空のものではないと頭で理解はしていても、行きたいとか会いたいとかいう興味を発動させることはついぞなかった。

その頃の自分と言えばもっぱら発情期で、

クラスで席が近かった男3人女2人のグループを作りオレンジデイズな日々に夢中になっていた。夏休みなんかその男3人の攻防に勝利し、お目当ての女の子と付き合えて有頂天になっていて、ロシアに想いを馳せることは1秒もなかったはずだ。

 読み進めていくと、そもそも中学生の段階で既にソビエトのラジオ放送のリスナーになっている。本人の関心の広さと、環境を自前で調達する行動力、手がかりとなる情報量の多さ、親や友人からの刺激。佐藤さんは埼玉の生まれらしいが、才能ある人にとって都会に生まれることはさらにその才を伸ばすブーストになるのだなと思った。

環境ばかりに文句を言っても仕方がないが、佐藤さんが私の家に生まれ、同級生の親の半分が農家、もう半分が町役場、みんな親もこの町の生まれですみたいな環境で、外人も住んでない、大卒者は町に10人もいない、中核市まで車で1時間、県庁所在地がまるで世界の頂点みたいな閉鎖的な空間で育ったらこうはならなかったはずだとつい恨み節になってしまう。

まぁ彼が環境に恵まれていたとしても、進学校の同級生でソビエトまで単身乗り込んだのは彼1人のようだから、本人の資質があってこそなのだが。

旅行代理店に単身乗り込んで自分で旅程決めてるし、英語で外人の大人と物怖じせずコミュニケーションとってるし、社会情勢や政治体制について詳しすぎるし、とにかく脱帽。


自分なんか大学生で初めて海外行った時も代理店の言いなりで高い金払わされたし、英語は勉強してテストの点を取るためのものではなく、英語話者とコミュニケーションするためのものだという単純な事実に気づいたのは海外行ってからだし、というか英語を本当にコミュニケーションを取るために使ったのはその時が初めてだし、社会主義共産主義の違いはいまだに上手く説明できない。


よく考えたらここまで精緻に記録が残っていることがまずすごい。会った人の名前とか

食べたものとかまめに書いているし、何よりその時自分が何を感じ何を考えたのかを残しているのがえらい。


自分も大学の時にいった海外旅行を回想して書き記したくなってきた。最後に浮かんだ感想はこれだ。途中で挫折しそうだがやってみよう。とにかく読んだ甲斐があった。



蛇足。終盤に出てきた北大生の中途半端さが

まさに学生時代の自分そのもので恥ずかしくなった。