un deux droit

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『指示待ち人間』の作り方

自分はこれまで、『指示待ち人間』の存在を信じていなかった。

自分の一挙手一投足をいちいち他人の指示に委ねる、という選択をする人間の心理が今ひとつうまく飲み込めなかったのだ。

そんな自分が昨日、妻に『指示待ち人間』呼ばわりされてしまった。

自分はその妻の断定にどうしても納得ができなかったのだが、議論を重ねるうちに図らずとも『指示待ち人間』の定義と、当人が自覚なく『指示待ち人間』として養成されてしまうメカニズムが明確になったので、今日はそのことを整理したい。


事の成り行きをかいつまんでまとめると、要するに妻が不機嫌だったのだ。

不機嫌な人は、虫の居所が掴みにくい。良かれと思って申し出た善意がまるっきり裏目に出て手痛いしっぺ返しを食らう、なんてことがままある。こういう時は触らぬ神に祟りなし、ということで傍観を決め込む。つまり、相手をむやみに刺激しないよう、自分が意思表明することに抑制的になり、相手が望むことの実現に注力するようになる。自然、態度は受け身になり、一つ一つの応対が後手に回るようになる。本人からすれば相手に譲歩した親切のつもりでも、相手からすれば『自分が明確に意思表示したことについては実現するが、意思表示していない事柄については何一つ進まない』という状態であり、不満が募る。結果、相手から『指示待ち人間』という烙印を押される。めでたしめでたし、というわけだ。

つまり『指示待ち人間』とは、『自分が何をするかの決定を何もかも他人に依存する怠惰な人間』のことではなく、『特定の人間が関わる事象に対してのみ、一切の判断を保留した人間』のことだったのだ。

したがって、『指示待ち人間』は下手に動いて攻撃対象になることを避けるための防御態勢を取っているだけなので、『指示待ち人間』に憤慨する人は、まず自身の『戦闘体制』に意識を向け、それを解除することのほうが先決だ。

一方、『指示待ち人間』と不本意な烙印を押された人は他人の反応に過敏になりすぎて自分の立場や役割を見失っているだけなのだが、誰がどんな反応をしようと自分の使命は変わらないはずなので淡々と職務を遂行するに限る。職務を遂行している以上、他人からとやかく言われる筋合いはないので堂々としていればいい。言いがかりをつけられたら毅然と反論すればいいのだ。

これが出来たら世話ねーよという話ではあるのだが、まずは状況整理ということで記録しておく。