un deux droit

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自己啓発を経営者が語る勿れ

どこぞの偉い人が言ったありがたい格言を無邪気に引用して自分の会社の従業員に説くありがたくない経営者がいる。

そう、うちの社長だ。

自分が感化された考え方や哲学を他人に強要する『自己啓発』経営は、その狙いとするところが相手に伝わらないという意味において無益であるばかりか、反感を買って逆走する社員が続出するという意味において有害でしかないと私は信じている。

それはなぜか。

それは、『自己啓発』という言葉の意味そのものに答えが隠されている。

つまり、自分が必要性を感じて自分を啓発するものに縋るのが『自己啓発』なのであって、その内容がどれだけ正鵠を射たものであっても他人から押し付けられるものではないのだ。

更に質の悪いことに、自己啓発というのは大概自分に責任や問題を見出し改善しようとする試みだ。

そのために経営者が従業員に発信するという形を取った時点で、綺麗事を言ったつもりでいながらその実、会社で起こる全ての問題を従業員になすりつけるという責任転嫁をやってのけているのだ。

例えば給料が安いから従業員のモチベーションが上がらず業績が悪化している、という事象があったとする。この場合、社長の金払いが悪いのが問題なのにもかかわらず、そこには一切着手せず、「給与の額面を見て手を抜くと、その額面通りの方の人間になるのである」などと偉そうにのたまわって、従業員当人の捉え方の問題にすり替えるのだ。

いや、それは従業員側が自分でこの現状をそのように捉えるぶんには構わないけど、社長、あんたが言うなよ。お前はみんなのやる気を下げない程度の金を黙って払え、とこうなるわけだ。

このような自己啓発、あるいは教義や道徳の悪用は様々な関係で本当に頻出しているからよくよく注意しなければならない。

国−国民でも親−子でも、上位者に許されるのは自分の望む所を自ずと相手が選択するようなインセンティブが働く仕組み・環境の整備だけだ。

国が子供をたくさん産んで欲しければ、女性を自分勝手だと詰るのではなく、女性が子供を産みたくなる公的支援や保育施設の完備に予算を投下すべきだし、親が子に老後の面倒を見て欲しければ、盆と正月に帰ってこない息子娘を親不孝者と嘆く前に息子娘が何を望んでいるかに耳を傾け、叶えられることを叶えてやって恩を売ればいい。

それと同じことで、社長も従業員にもっと働いて稼いで来てもらいたければ、従業員がもっと頑張りたくなる仕組みを一生懸命考えて手を打つべきだ。

啓発書は、あくまで自分の振る舞いを正すためだけに使い、会社の本棚に飾ったりせず自宅の書斎の肥やしにしてくれ、頼むから。