un deux droit

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新聞記者という職業

大学の先輩と飯を食ってきた。

彼は全国紙の新聞記者をやっており、転勤で私が住む街にやってきたのだ。


共通の友人の近況や最近の仕事の調子など、雑多な話を小一時間ほどしてきた。



話をしていて気になったのは、話題がひたすら「事実の共有」になっていたことだ。


誰それが結婚したらしい、とか、こんな事を取材してきた、とか。


それをもとに自分はどう思ったか、どう考える、というような「評価」や「解釈」や「主張」に一切踏み込まない。


事実の話を共有するだけなら、実はその人と話をすることの価値は低い。

情報ならFacebookやネットで入手できるからだ。

私が興味を示すのは、その人独自の見解だ。

それだけが、その人からしか聞けない話だからだ。

だから、社会の様々な側面を見てきた彼だからこそ聞ける話を期待したいのだが、残念ながらその期待は外れた。


思うに、彼の仕事の大半は「事実の正確な記述」だ。

基本的に新聞記事というものは、私見を混ぜてはいけないことになっている。


それがどれだけ的を射たものであっても、魅力的で斬新な発想であっても、だ。


そうやって自分の考察を制約される環境に居続けると、先輩のような人間が出来上がるのかもしれない。


そう思い少し気の毒になった1日だった。