un deux droit

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所詮男は馬鹿だから

昨日は一日鬱々とした気分で、夫婦喧嘩に対して特に何もせぬまま放置していたのだが、時間の経過が妻の機嫌をある程度正常に戻していた。論理的な話ができない相手とは、一定期間距離をとって冷却するしかない。下手に手を動かすと天邪鬼になって解決が長引く。

それにしても、もう信頼感がゼロだとか仮面夫婦でいようとか散々好き勝手言ったくせに、時間が経過しただけで問題が過ぎ去っていくのならば最初から問題なんてなかったじゃないかと思う。あるいは今も問題は鎮座していて何も解決へと転がっていないのに、そのことを看過できている。どちらにせよ朝の3時まで因縁をつけるような話題ではなかったということ。悩んで損した。

自分なりに昨日の抗争を反省すると、やはり妻に対する素朴な親愛の気持ちがどう頑張っても湧き上がってこないことに原因があると思う。端的に言うともう好きでない。どうでもいい。だから妻の言っていることのいちいちがはなからめんどうくさい。妻に自分のことをわかってもらいたいなんて微塵も思ってない。妻のことを知りたいとも思っていない。その関心の薄さが妻の不信感を増幅させているのだ。妻は私が常識知らずだから指摘せざるを得ないことが多いと言うけれど、一挙手一投足ダメ出しでがんじがらめにされるような窮屈な日常を強いる人に対して、「愛する心を持続せよ」という命題を突きつけるほうが酷だと思う。端的に言って敵だし、いつどこで自分に害をなしてくるかわからないと疑心暗鬼になり警戒心を解かないのも当然だ。その態度をもって「よそよそしい」「ゴム人間」「能面」「何考えてるか全く見えない」と責め立てるのはお門違いなのである。そうやって感情や思考をステルス状態にして自己防衛しているのだ。私を理解する糸口が見当たらないくらい自分を殺し切れているのはむしろ褒めて欲しいくらいだし、不気味だと思うのならばそこまで追い詰めた自分のマイクロマネジメントを恥じて欲しい。

妻は私を馬鹿だと思うことにしたのだそうだ。「私の考えを理解できる知能があなたにはない。私の言った通りにできないのは嫌がらせや抵抗ではなか単に馬鹿だからだ、、男はみんな馬鹿で単細胞。私と対等に渡り歩くことを期待する方が無理で、指示待ちの単純肉体労働者としてみなす」と宣言していた。私も「そうそう、俺は馬鹿なのよ、自分の足りない頭で自分に求められているミッションを察知することも、家庭全体を俯瞰して課題を発見することも、それらの課題に適切な優先順位をつけて解決策に着手することもできないのよ」と自暴自棄に匙を投げた。昨日の衝突で自分も気持ちが切れてしまったのだ。妻が私を侮ることで溜飲が下がり、衝突が減るのならばむしろその方がマシだと思える境地にまで至ってしまった。

家庭のためにと仕事を調整していたのが馬鹿馬鹿しい。もうこれから家庭をかえりみず、就業時間外や休日仕事、宿泊を伴う仕事などを躊躇なく入れていこうと思う。どうせ馬鹿だから。妻は賢いからワンオペでなんでも切り盛りができるのよきっと。ご飯大丈夫かな、お迎え大変じゃないかならお風呂もゆっくり入れるかな、と気を揉む必要はない。だって妻は賢いから。きっと効率良く業務を組み立てて負担感なくやり遂げるのでしょう。私がそれを大変だと思っているのは、私が馬鹿で、子どもたちをうまくマネジメントできず、無駄な手間がたくさんあるからなのよきっとね。娘2人と賢い女性同士でよろしくやってください。