un deux droit

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地獄からの逃走

連休最終日。毎日のように妻の小言、嫌味、言いがかりを聞き、そのたび衝突して、消耗して、もう向き合うことが嫌になって家を出てきた。ご飯の準備をしてきたがそれももはやどうでもいい。私がいない生活を楽しんで、私がいない生活を苦しめばいい。パートナーに気に食わないことがあるとはいえ、どこまで言っていいのか、その線引のわからないやつは孤独になるのだ。

妻は無責任だとなじるだろうが、そこまで人を追い詰めることについて妻は責任を感じるべきだ。何か気に食わないことがあるときに、すぐに他人を指弾するのではなく、自らの内にその状態を招いている原因を探るべきだ。

妻は妻からの忠告が私を成長させ、それによって私がいまの安定した暮らしを幸せを得たのだというシナリオを頑なに手放さないが、肝心の私がそれを幸せだと思っていない。言動や振る舞いや考え方を妻の好みにカスタマイズする日々はただの拷問で、しかも終わりがない。そのおかげで私がなにか得るものがあって、それをしなかったことで何かを失ったり得られるべきものが得られなかったとしてももはや構わない。私が何を幸せと感じるかを妻に決められる筋合いはない。私は「妻の言うことを聞いてきたから今の生活がある」という呪文を解き放つべき時が来たように思う。妻の言う言い方をしなで、仕事で失敗したり友を失ったり生活が崩壊しても、それがもともとの私の人生だったのだ。何が問題あろうか。

子どものことももはやどうでもいい。私が育てろと言われれば苦しみに耐える覚悟はあるし、お前がでて行けとなれば寂しさに耐える覚悟もある。養育費だって私の最低限度の暮らしが可能な範囲で払うつもりがある。もともと酒も飲まないしギャンブルだってしない。ゲームに課金しているのも妻との生活が辛くて逃避しているだけなのですぐに辞められる。ただその親権の駆引きで妻と対峙することだけがしたくない。勝手に決めてもらって構わない。その決断に従う。決定に関与しないなんて無責任と言われようがもはや私には響かない。私は無責任ではない。妻との関係が徹底的にこじれた結果、責任を取る選択肢が潰え、結果的に無責任のような態様になっただけだ。責任を取らせてくれる信頼関係があったらそもそもこんな事になっていない。

もし別れることができたなら、もうほかの誰かと恋仲になることはないなと思う。誰か他の人とお近づきになりたいのは妻から逃げたいからでしかなくて、妻から逃げおおせることができたならもはや誰も必要としない。

妻からのLINEには、夫のココが問題だとか、こういう思考ができない人の特徴、みたいなリンク先が次々と送られてくる。ブチ切れるでも、反省するでもなく、徹頭徹尾「指導」だ。対等な関係なんかではない。それが嫌なんだって言っていることがまるでわかっていない。

既読はつけない。