un deux droit

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大衆を幸せにしない理屈に耳を貸すな

昨日、フォローしてるブロガー (id:edoandlee)さんがAbemaTVの生放送に出演するというので、Abemaのアプリを落として予定放映時刻のちょっと前から配信に繋いでスタンバっていた。TV番組の放映に合わせて待機する、って事自体がなんだか久しぶりのことだ。見逃し配信でも良かったんだけれど、せっかくライブでやってるならライブで見たほうが面白い。

番組の内容としては、その時々のトピックについて、ひろゆき氏+αが好き勝手に討論するもの。視聴を開始したときにはブロガーさんの出演するお目当てのコーナーはまだ始まっていなくて、一つ前のテーマの議論が盛り上がっていた。議論テーマは「ライフハック」についてだった。

大方の主張としては、人生を賢く楽して生き抜くための手段や選択はあるのだから、ちゃんと調べて行動しようよ。というもの。

その例で出されていたのが、海外で寿司職人やったら簡単に儲けられる、という話。英語がそんなに使えなくてもいい。覚悟と度胸があれば日本でやるより確実に儲かるのに、それを選ばなくて収入が低いと文句を言うのは違うよね、という理屈だった。

あー、なんだかこの手の話、とっても嫌いだな、と思った。


理由はいくつかある。


1つ目には、なぜそんな抜け道や裏ワザみたいなものを使わないと、真っ当な生活を送るための収入が得られない社会なのか、ということ。人生の地獄を回避する裏ワザが存在する、ということと、人生が裏ワザでも使わなければ地獄である、ということは全く別の次元の話である。フランスに行けば同じ寿司職人でも高い給料がもらえるというけれど、じゃあ大半のフランス人はなぜわざわざ異国に繰り出すという手にでなくとも真っ当に暮らせているのか。凡人が凡人のまま真っ当に生きられる世界と、真っ当に生きるには凡人であることを許さない世界が並存しているなら、そっちの世界に移動するのではなく。今ある世界もそっちの世界のように変えられるのでは?という考え方をしたほうがいい。なぜそのように考えないのか。ひろゆき氏(とその取り巻きの成田修造氏)は本人と周囲の友人と、できてもせいぜい少数の信奉者くらいしか幸せにできないテクの話をしている。それを社会全体に適応できる、と主張するのは暴論である。彼らは賢人のような扱いを受けているけれど、自分と取り巻きくらいしか幸せにならないアイディアしかないなら、我々と同じでそんなに賢くない。

2つ目には、じゃあ本当に日本人の多くが彼らの言説を鵜呑みにして、コスパの悪い仕事を選ぶのは賢くないからしない、海外の方が稼げる、と国外流出が殺到したらそいつ等は高級と幸福を獲得するか、というと絶対にそうはならない。先駆者が高級取りなのは、「他にそういう事をするやつがいない」からであって、すなわち希少性のなせる業である。サンフランシスコに移住する日本人寿司職人が100人もいたら、間違いなく彼らの給料は暴落する。残酷なまでに需要と供給だけで価格が決定されるのが「資本主義」である。他国からの労働者が少数なうちは希少性があって重宝されるけれど、一定数を超えて、その大半が食い詰め者となると不穏な脅威となる。移民問題について少しでも関心があればすぐにわかることだ。まあこれも希少性が前提の話を全体に当てはめる愚の話。

3つめには、故郷を愛する気持ちとか、エッセンシャルワークに従事する使命感とか、金銭換算できない心の機微を露骨に無視していること。成田氏は、「それが資本主義なのだ」とリアリストを気取っていたけれど、だからこそ資本主義とは違うロジックで資本主義に介入し、資本主義の欠陥を緩和すべきと考えるべきところ。そう考えないのは、考えられないのではなく考えたくないのだろう。あたまが悪いんでなくて性格が悪い。ローカルにこだわる人、育児介護の世界に飛び込む人を蔑視していて、そういう奴らは低所得で塩漬けにしとけばいいとでも思ってるんだろう。じゃあ彼らが維持している社会インフラのお世話に絶対になるなよと思うし、地方とか気まぐれで旅行してほしくない。まあでも日本に生きている限り東京のタワマンに閉じこもってたって、食べ物なんかはどうしたってお世話にならざるを得ないけれどね。あなた自身が人間である限り、他の人間の恩恵を受けずには生きていけない。AIがどうとかいうけど、そんなに自分以外の人間がお嫌いならば、自分自身が太陽光パネルつけて自家発電するロボットにでもなるしかないよ。

そんな事をムカムカしながら考えてたら、お目当てのコーナーの話があまり頭に入ってこなかった。(江戸リイさんすまん笑) 本題は仮面夫婦について。一応対話できているだけ我が家はまだまし、、かもしれないと思った。議論で一番気になったのは、仮面夫婦などしてないで離婚が容易になったらまた次のつがいのチャンスを得て少子化対策になるのでは、というグロテスクな思考実験だ。一夫多妻制とか言い出していた。仮面夫婦の原因が男にだけあるわけではないらしいけれど、少なくとも子どもの養育は女性が担っていることがまだ大半の現状において、男にこれ以上無責任に種付けするチャンスを与えて、育児放棄と貧困にあえぐ子どもを大量発生させることのどこが少子化対策なんだろう。そんな社会なんか維持することになんの価値もない。

ひろゆき氏はこのテーマで「仮面夫婦でバランスの良い距離感取れてるならなにが問題あるの?両親が仲良くて子どもと一緒みたいなほうが幻想」と言い放った。さっきのライフハックのときもそうだけど、彼はどうにかして一般大衆の「願望の程度」を切り下げたいと願っているようだ。「これくらい望むのは普通」という感覚をどんどん攻撃していく。その感覚を持つこと自体が恥ずかしいとか卑しいとか愚かだと言われると、人は怯む。そうやってダメージを与えて大衆を大人しくさせることができたら、統治コストは格段に安くなる。彼を起用している側が期待してるのはそういうことなんだろうな。

とりあえず一人ひとりができることは、ああいう番組を見ないことだな。どんどん自己肯定感が下がっていくよ。みんな根拠もなく自信を持って、願望は臆面もなくどんどん主張していこーぜ。

私が唯一つ困っているのは、妻がひろゆきファンだということです。