un deux droit

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神が私に与えた試練とは

12月から週1で10km弱のランニングを続けている。しかし。きつさの割に、体つきに変化は一向に現れない。よほど代謝が落ちていて、もっともっと継続しないと効果が出ないということなのか。あるいはすでに現在がすでにベスト体形で、これ以上は高望みなのかもしれない。

ふと、白血病と戦う池江璃花子選手のことを思い出す。病のピーク時にはきっと私のような一般人よりも筋肉を落としたことだろうと思う。そこからこの短期間で日本のトップレベルまでタイムを戻してきている。本人にとってみれば全盛期と比べてまだまだ、という状態だろうけれど、凡人から見れば驚異的としか言いようのない回復だ。「神は乗り越えられる試練しか与えない」とはどの神の台詞なのかは知らないが、私が私なりの努力をしたとて何らかんばしい成果を手にすることがないのは、神なるものが私に試練を与える気がないのだろう。

「いいよお前はそんな頑張らんで。どーせ乗り越えられんじゃろうからリストから外しておいたで」
そんなせせら笑いが聞こえてくる。


試練の用意がないから、後の試練に耐えうる肉体的素養も必要ない。なんとも空しい話だが、凡人とはつまりそういうことなのだろう。

もう一つの可能性がある。私が妻という存在を引き受けたことで、私の試練キャパがすでにオーバーしているということだ。



「あんたがこの人引き受けてくれるっちゅーなら、後の試練は全部免除で」

こっちの方が納得感がある。きっと乗り越えられない試練はない。今日も頑張りましょう。