un deux droit

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ソルジャーにも束の間の休息を

昨夜午後7時。夕飯の支度をしていると、messengerの着信があった。大学のゼミの先輩。教授でも死んだのかと思って通話ボタンを押すと、札幌で集まれるメンバーで飲んでたらしく、卒業生の近況伺いのつもりで発信してきたらしい。ゼミ生に一斉発信したもんだから次から次へと通話に参戦してきてカオス状態に。

三日どころか十年は会ってないが刮目して見ずとも各々ご活躍の様子。士業で独立、国一、JICA、アクセンチュア、全国紙記者で総理番、と羽振りの良さそうな話が飛び交う。「子どもがハンバーグ作っているの待ってるのでさいなら」と早々にエスケープ。

そういう都会のキラキラしたバリキャリとは徹頭徹尾無縁の人生なので、何が凄いのか、どんな仕事なのか、どんな能力が求められるのかも皆目見当がつかない。ただ、のほほんと雀卓を囲んでいた友人たちはそもそも住む世界が初めから違っていた。名だたる進学校上がりでバリバリ競争に揉まれて大学に来て、また卒業後にエリート達とバリバリ競争に揉まれている。彼らの人生は常に競争意識にさらされている。そこにぽっと出の私がたまたまゼミという繋がりで瞬間的にその世界を覗き見しただけ。私の人生は大学前も大学後も何の競争にもさらされていない。地頭とは別に、向上心や苦痛への耐性など、旺盛に人生を開拓していく生命力に歴然とした差があるとしみじみ感じる。

ゼミは行きすぎた新自由主義を批判・牽制するようなテーマを扱っていたのだが、そのゼミ生達がそのシステムの中を逞しく泳ぎ回り、資本主義の勝者として稼ぎまくっているのはなんとも皮肉なものだ。まぁ彼らもその会社に勤めている、とか、何々の資格がある、以上の実態は知らないけどね。

彼らが勝ち組だけでつるまず、正社員ワープワの境界を彷徨う私を未だに輪に入れるのは、そういう表面的肩書きや収入や成功にまるで関心がなく、知識もなく、彼らをただの人間として対等に扱うオアシスのような人間が稀有だからだと思う。どうせ毎日マウントをかけてかけられての日々なんだろう。知らんけど。私が相も変わらず地べたを這いずり回り、しかししぶとく生存しているのを定期的に確認することで、彼らがまた24時間戦う励みになっていたら良いのだけれど。それにしても皆子なしパートナーなしだったな。その泡銭の使い道ってあるのだろうか。