un deux droit

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「元気を出す」と「元気になる」の交錯

今週のお題「元気を出す方法」

元気を出す。この言葉が用いられる時、「元気になれる何か」という期待が想定されている。しかし、その期待とは裏腹に、専ら「元気になれる」ことを目的とした行為の殆どは、まさに文字通り、「元気」を「放出する」ものばかりだ。

私に何かむしゃくしゃしたことがあって、そのストレスを発散させようとする時は、カラオケに行くか、運動をするか、美味いものを食うか、ゲームをするか、お笑い番組を見るか、のどれかである。どの行為を選ぶときも、私の脳内では「これをすれば気が晴れて元気になるはず」という期待を込めて着手される。しかし実際には、スピッツだけを延々と1時間歌い続ければクタクタになるし、10㎞走破すればその日はもう何もできないくらい摩耗する。腹一杯食べたいものを食べれば眠くなるし、ゲームやお笑いで興奮状態を作れば作るほど、終わった後はしんどくなる。元気になるためにやったはずなのに、元気を使い果たして他に何もできない状態になっている。いつもそんな矛盾を感じる。そして大して心も晴れない。何かむしゃくしゃした事実は発散行為の前後で微動だにせず鎮座しているからだ。だから元気を出す行為というのは、元気になるためではなく、むしろ自分の体内にある全元気を瞬間的に使い果たすことで、自分の元気の総量を確認するための行為と言った方が良いのかもしれない。俺、まだまだやれるやん、みたいな。すると元気を出す行為というのは元気な時にしかできないので、元気出そうと思ってる時はわざわざテコ入れしなくても実はまだまだ十分に元気なのである。本当に元気のない時には、元気になるために何かをする元気が無くて詰んでいるのだ。元気になりたい、って思ってるうちはまだまだ大丈夫。

ちなみに、元気を「出す」すなわち放出するのではなくて、元気に「なる」ために私が普段からやっているのは、女性に褒められにいくことだ。大真面目に書くのが馬鹿馬鹿しいけど、私の人生の唯一の目的がそれなのだから仕方がない。全ての行為は、女の子に褒められるためにやってきたし、これからもそうだ。頭の程度としては、電灯に吸い寄せられて焼死する虫と大差ない。

仕事では普段から自分の周りに、「この人に褒められたらテンション上がる」と思える好みの女性を固めて、日々栄養補給に努めている。褒められるポイントはなんでもいい。知性でも、話が面白いでも、かっこいいでも、若いでも、全てプライドなく喜ぶ安くて軽い男だ。変に褒めたらお世辞やおべっかみたいで、かえって馬鹿にしてる感じにならないかしらと気を遣っていただく必要はない。全部真正面から真に受ける。もし私が女性だったら、男性からちょっと煽てたらすぐに身体を許すような、セクハラでも自分に魅力があると勘違いするような、ちょろい女だったろうと思う。承認ゾンビ。もっと自家発電できる人間になりたかったな。