un deux droit

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いいとこなんかなくたっていい

この土日は娘たちとスイーツ作りまみれの2日間。昨日はアイスキャンディとクッキー、今日はチョコパイと大学いも。昼飯がお菓子でいいなんてマリー・アントワネットですか君たち。お菓子を手作りすると、普段食べている市販のお菓子は、尋常じゃない量の砂糖とバターを使っているという事実ということを思い知らされる。値段が高いのも、お菓子ばっかり食べてると身体に悪いのも、どちらも頷ける。そんな感想が先に来る自分が嫌だ。ちゃんと娘たちの成長や家族の温かみに涙しましたよハイハイ。

家族と過ごす休日がだんだん苦役になっている自覚がある。ただただ一人でダラダラする休日がほしい。子どもたちの都合で朝起こされて、朝ご飯を作り、猫のウンチの処理とエサの補充、子どもの喧嘩の仲裁、部屋の掃除、妻の会話相手、子どもの遊び相手、昼飯の準備、子どもの遊び相手、子どもの喧嘩の仲裁、夕飯の準備、風呂掃除、子どもの喧嘩の仲裁、風呂入れ、寝かしつけってもう労働以外の何物でもない。家事で過労死って聞いたことないから、睡眠さえ6時間ほど確保できていれば、週7勤務くらいじゃ人は死なない。単純な労働時間とは別のファクターが必要のようだ。

昼食後ソファに突っ伏していると、不意に長女が「私っていいところないけん」とボヤいた。おいおい、こんなに至れり尽くせりの生活をしていて自己肯定感低いってどういうこっちゃ。本当なら「いやあなたはこういう良いところがある」みたいなことで反駁してやるところかな、と思った。しかしもう私にはそんな心の余裕がなかった。そこで思わず「いいところなんて無くったっていい。いいとこあるやつなんか一人もいない。いいとこあるなあって見えるやつはだいたいなにか我慢してるんだ。いいところがなくともそのままで胸を張って生きなさい」と切り返した。

苦し紛れの思いつきにしては、なかなか面白い事を言った気がする。「良いところがある人は価値が高い」という価値観は、一見真っ当な気がするけれど、裏返すと「良いところの無い人は価値が低い」という意味になる。そうやって他社と比較して優劣をつけ、それに応じて自己認識や人に対する態度を変えるのは、長期的に見て健全な経験とならない。良いやつと思われてるかどうかで、他の人なら許されないことが許されたり、発言が余計に尊重されたりするような社会なんてくそくらえだ。「良いやつと思われてないかも」なんて萎縮して、人一人が人一人分の権利として真っ当な分の言動を控え始める輩が増えたから今の日本の停滞や、格差や、不正の横行が止まらないのだ。

とはいえ、自分が子どもにええかっこしいところを見せて無理してきたから、子どもがそういう価値観を形成してしまったのかもしれない。自分に対した価値はないと自認しながら、それでも自信満々に堂々と生きている背中を見せていきたいと思う。子どもといる時間は好きではないけれど、人生を気分良く過ごすためのマインドセットは授けていきたい。

自尊心に根拠はいらないぞ!