un deux droit

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中島岳志「思いがけず利他」

勤め先の会長が利己心にまみれたどうしようも無い爺さんなのだが、なぜか仕切りに「利他」の精神を説く。自分が利己心丸出しで恥を垂れ流しているのを粉飾したいからなのか、それとも従業員の「利他心」を発揮してくれると、その果実を根こそぎ収奪できる立場にいるからなのか、まぁそのどちらもなんだろうけど、とにかく「利他」という言葉を気軽に使う輩はことごとく不信感を持つようにしている。

中島先生はこの本で、世の中で「利他的とされるもの」のほとんどが「利他の面を被った利己」であることを見事に暴露した。これはもう高校の教科書あたりで取り上げて欲しいレベル。似非利他主義者がこの本を読んだらもう恥ずかしくて街を歩けなくなるだろう。
「利他」とはその発生源となる行為をした本人の預かり知らぬところで、意図せぬ形で、不意に発動する。自分が「他」を「利」した、簡単に言うと自分の行為がありがたがられたり、感謝されたり、褒められたり、その結果として好かれたり、場合によっては崇められたりするというのは、その実現を願えば願うほど、受け手たる他者に作為を感じさせ、実現をますます遠ざける。
とすれば、一人ひとりができることはその逆で、過去に自分が誰かから受けた「利他的行為」に想いを馳せて、それに感謝することだけなのだと思う。「利他」は恩恵を受けた人が「恩恵を受けた」と自覚した瞬間にしかこの世に生み落とされない。世の中に「利他」を増やすには「自分が利他的だと思ってもらえる行為」を闇雲に投下するのではなくて、「他者の行為を利他と認定して回る」しかないのだ。ありがた迷惑な「贈与」の量産をやめて、すでに誰かにしてもらったことを自覚し、「返礼」して回る生き方を多くの人が選べば、世の中はもっと住み心地の良いものになるのだろうと思う。