un deux droit

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性加害報道と、その反応に対して思うこと

性加害という比較的新しめの言葉について、最近ぼんやりと思いを馳せている。強姦以外の何物でもないと思うけど、言葉を柔らかめにして事実そのものやその有害性を有耶無耶にしたいのかなと邪推してしまう。

VIPが来ると言われて、お金もらえたんだから「そういうこと」をされても仕方ない、世間知らずだ、という理屈を述べている人がたくさんいるけれど、いやそしたらその世間が間違ってるだろという主張は少ないように思う。VIPと呼ばれる人は何やってもいいんか。お金もらったら何されても文句言えないんか。VIPと飲んでお小遣いもらっても犯されないで帰れる世の中で何が困るというのか。それならそっちの方が良いに決まってるじゃないか。いい思いしたら必ず反対給付しなきゃならないという義務はない。ほんとにVIPなんだったら、見返り無しに気前よく施せばいいじゃないか。「金と権威は倫理や道徳を凌駕する」という認識を持っている人があまりにも多いことに辟易とする。

もう一つ理解し難いのは、相手が望んでない性交渉を強いることでも快楽を得られる男性が一定数存在するということ。私がナイーブ過ぎるのかもしれないが、私は相手が自分を好いてくれているという手応えがない限り、性行為に及びたいという欲情が掻き立てられない。素っ裸を見られるのは恥ずかしいし、これからやることは獣と変わらない、という局面において、その小っ恥ずかしい共同作業をやり遂げるには、双方が欲情していないと成り立たないと思っている。ちょうど相撲の立会いのように、波長がうまくあわないとがっぷり四つになれないのだ。相手が嫌がっていたり気乗りしていないと悟ってしまったが最後、私の一物は作動しなくなる。そういう安全装置って男の方には普通備わってるもんだと思っていたけれど、案外そうでもないんだなということを残念なこととして捉えている。キャバクラはもちろん、本番ありの風俗に狂ったように行く知人も一定数いるので、感情の交換を伴わず性欲一本槍で性行為に及べる男性はかなり多い。このへんの感覚は一生理解できないんだろうな。

それにしても、人間というのは最終的に、倫理に悖る行為がしたくてたまらないのだな。使い切れないほどのお金を持つと、外道の行為を強行するために大枚をはたく。さらにその事実を隠蔽して糾弾されることを回避するために、口止め料を払ったり、人払いをするために会場を貸し切ったり、スタッフを雇用したりということに大枚をはたく。後ろ指をさされることなく外道な行為を働くためにいくらでもお金を突っ込む。逆に言うと、人の道に外れるようなことをそもそも欲しない人は、そこまでお金がなくてもご機嫌に生きていけるということでもある。私に逸脱した欲望が存在しなかったことには感謝するしかない。欲望を抱えながらそれに蓋をし続けることは生きづらくて仕方がないのだから。