un deux droit

このブログには説明が書かれていません。

日常生活の中に分散したchocozapチャンスを拾いに行く

急に秋が訪れてから、少し体を動かしたいという気持ちが芽生えてきた。

しっかり運動するというよりは、日常生活+α程度の負荷をかけるくらいのこと。筋肉に筋肉であるという自覚を持たせる、ほんの目覚まし程度のトレーニングだ。

芽生えの初日はスクワット30回のみだった。それを数日継続していると、使っていない他の部位が気になりだして、プラーク60秒を追加。その翌日には腕立て20回。そして今日はそのセットを朝夜の2回やる、というふうに徐々にエスカレートしてきた。

ポイントはちょこちょこやること。気がついたときに、その環境でできる負荷を少しだけかける。ちょっと早足で歩くとか、自転車をかっ飛ばすとかだっていい。階段を多用するのも手だ。そのささいな出力の差を積み重ねていくことが、1年も経てば大きな差になるはずだ。てかなってほしい。

運動習慣や筋トレは、それ自体はとにかく凡庸だ。しかしそれを継続できる事は非凡なことだ。そんなことをロッテの沢村投手が言っている動画をインスタで見た。自分もそれに倣って継続したい。

それにしても、chocozapなるジムが街中にたくさんできて流行っているような気がするけど、ちょこっと運動するだけのことになぜわざわざ会費を払うのだろうと疑問に思っている。1日5分運動するだけで理想の身体に、という謳い文句だが、5分だけ運動するのに5分以上かけてジムに向かう意味がわからない。それがたとえ言葉の綾だとしても。その移動する時間のうちに運動したらいいじゃんね。そういう環境が整わないと運動できないというような人は継続しないのじゃないだろうかと思うわけです。いつでもどこでもできることをできる範囲で見つけられることが望ましいのではないでしょうか。はい、私にその会費を支払う予算とそこまで行く時間の自由がないだけです。