un deux droit

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緩慢な自殺

先日、両親が孫に会いに北海道からやってきた。かれこれ5年近く会っていなかったので、互いの近況報告を兼ねて妻と子ども抜きで近所の居酒屋へ。

親は70を過ぎて耄碌してきているかなと思いきや、思いのほか達者で老化を感じさせなかった。毎週の登山がボケを回避しているのだろう。父は相変わらず焼酎をストレートで飲んでいる。アル中でもないし、酔って暴力を振るうようなこともなく、ただシンプルに濃い酒が好き。それはそれで狂気。ロシア人のウオッカみたいなものなのだろうか。南国の福岡に来てそれをやったら酒の回りが早くて泥酔するのではと危惧したが、幸いそのような大事にはならなかった。

私、あんどう家の血筋は親族づきあいがかなり疎遠である。盆や正月に予定を合わせて一同会するなんてことは一度もなかった。本家に顔を出さないか、出すにしてもわざわざ日時をずらして重ならないように顔を出していたように記憶している。

わかりやすくいがみ合っていてくれたらいいものの、相互不干渉というのがなんとも気色悪い。本家筋のじいさまが割と早めに亡くなられた(私が生まれる前に亡くなっている)ので、顔を見せる義理がなくなったのが原因かもしれないし、私の両親がいとこ同士で結婚したことがなんとなくの気まずさとして未だに尾を引いているのかもしれない。
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いずれにせよ、私が生まれる前にあったことの真相は私にはわからない。

そんなわけで親族関係の消息について両親に話を振っても断片的な情報しか入手できない。歯抜けのピースを組み合わせても、全体像がまるで見えてこないのだ。我が家は爺さん同士が兄弟という形のいとこ結婚だが、爺さん兄弟の誰が存命で誰が鬼籍に入っているのかも判然としないし、その血筋が続いているのか途絶えているのかもわからない。もっと言えば、私のいとこにあたる人間がどれだけいるのかすら完全には把握していない。把握しているいとこも、結婚しているのか、子どもがいるのかという基礎情報が掴めていない。そんな感じ。

なぜ私がそんなに家系図的な情報にこだわっているかというと、私の観測範囲では私があんどう家のラスト男系子孫である可能性が高いからだ。私の祖父母、父母世代はまだおそらく10〜20名ほど存命だと思うが、私の兄弟、いとこ世代はぐっと人数が減る。墓守や墓仕舞いって俺の仕事になってない?っていう不都合な事実を有耶無耶なままドロンされては困ると思っているのだ。父は「そのへんは本家の兄貴がちゃんとやるから心配するな」の一点張りだが、父の兄の一人息子(私の把握する数少ない、いとこの一人)は結婚し子どもをもうけたが離婚して親権を取られ、今は独身だ。もう50代に突入しているので、普通に寿命を迎えたら向こうが先に死ぬ。その一人息子が手掛けるあんどう家の清算に手抜かりがあれば、役人は戸籍をたどって私に連絡を寄越してくるだろう。そのあたりのことを親世代が達者なうちに片付けておいてくれ、私とそのいとこは10歳以上年が離れ、密に連絡を取れるような仲ではないのだから。そう両親に訴えた。

すると、回答の代わりにこんな剣呑な情報を得た。

「そういえばよっちゃん(※上記いとこ)、この前血管が破裂して死ぬとこだったんよ」


ほらほら、言わんこっちゃない。もう50代なんて全然安全圏じゃないのよ。そのうちそのうちって言ってるうちに想定外のことがあるんだから。聞けばそのいとこは、幸いにも2か月ほどの入院を経て、特段の後遺症もなく無事?に退院したそうだ。とはいえ、50代でそんな調子では、長命であることは望めなさそうだ。

そのいとこに最後に会ったのは、妻と結婚することを本家に報告しに行った時以来であったか。もう10年以上前のことだ。いとこは折悪しくちょうど離婚ほやほや、あからさまに陰気だった。本家自体も一人息子が「出戻って」きたことで、なんとなしに空気が澱んでいるように感じた。そこに能天気に結婚報告をしに行ったもんだから場違い感甚だしく、いとこと交わした言葉も少なかった。

その後の暮らしぶりについて両親の話を総合すると。露骨に自暴自棄になっていたわけではなく、酒やたばこ、ギャンブルなどの依存症もないが、ほぼ毎日コンビニ飯で、仕事上の交流以外は人と接することもなく、ヘルシーな日常とはいいがたいものだったそうだ。そんな暮らしを10年続け、いとこは生死を彷徨う大病を患った。

私はそれを聞いて思わず「それって長い時間をかけた自殺みたいなもんだよね」と口走った。
両親はふと顔色を曇らせた。

いとこは、自分自身の存在価値を喪失していたように思う。それゆえ、心身に対する栄養となるものを摂取せず、メンテナンスを放棄し続けていた。破滅的な行為には今のところ及んでいないが、自分を大切にすることの必要性を感じなくなっているというのは、非常に危うい状態だと思った。

私がつい決定的な一言を言ってしまったせいで、これ以上親族関係の後始末について言及する雰囲気ではなくなってしまった。
久々の再会の後味を悪くしてしまったことをほんの少し後悔している。