un deux droit

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親と病原菌と死生観

昨日は久々に実家の両親とLine通話をした。地元の隣町で採れた果物を送ってくれたことへの御礼を、子ども達に伝えさせた。

博多弁全開の娘達と息子の姿を見て気圧されたのか、笑顔を見せながらも所在なさげな両親達。いくら親族とはいえ、親近感は湧きにくいようだ。私も私で、もう随分と関わっていない両親にどんな言葉をかけたらいいか、持て余し気味。血の繋がりがあるとはいえ、家を出て20年近く経ってしまった今となっては、限りなく他人に近い。そう思えてしまうのは薄情なことだろうか。

親だけでなく娘達に対しても、私は徐々に関心を失いつつある。性別の違いから来るのかもしれないが、親子なのかと思うほど性格や知能が似ていない。特に長女に関しては、言語能力、コミュニケーション能力、芸術的センスなどはもう私と比べ物にならないほど伸びている一方、社会に対する理解関心、数学的思考はまるきりダメ。位の下がる引き算ですでにつまずいているのだが、理解していないというより、落ち着きがない。一つの問題とじっくり向き合う忍耐力がなく、表面的な理解ですぐ答えを出したがったり、筆算をめんどくさがって、ひっかけ問題やケアレスミスを繰り返している。私の小2のときとは全然違う!と筋違いな憤りを覚えてしまう。勝手な偏見で、自分より良い環境を与えれば自分の上位互換のような子どもになってくれると思っていたが、そんなに単純な話ではなかった。次女もまた、ゴーイングマイウェイな育ち方をしていくのだろうと思う。

そんなことをモヤモヤと考えながら風呂に入っていると、また突拍子もなく、この子達が明日誰かに殺されたら、私は憎しみに支配されるだろうか?と物騒なことを自問した。私としては、悲しみに暮れたり怒り狂うことは加害者の思うつぼなのではないかと考え、娘を失ったという事実を強引にでも俯瞰で見つめることを自分に課し、意地でも平静でいたいと思った。

「娘にはよく生きた、いい人生だったと言いたいと思います。娘の将来は唐突に絶たれたわけですが、娘のこれまで生きてきた時間は間違いなく充実したものだったと思いますし、私も充実感を味わってきました。今日までの日々に積み重ねてきたことの価値は、娘を失った今時点においても何ら欠けるところがありません。
娘を失ったことの悲しみはありますが、加害者に対する憎しみはありません。娘が何らかの病原菌によって亡くなったとして、その病原菌を恨むことがないのと同じです。これは加害者を病原菌扱いしているのではありません。風邪を引かないでいる間はウイルスの存在など意識もしないし、風邪が治ればまたすぐにその存在を忘却するように、私と加害者はこれまで何ら関係のない存在同士でありましたし、これからも無関係であり続けるだけだということです。加害者の動機も今後の更生も私には一切興味がありません。」

記者会見でこんな事を言ったら、こいつのほうが犯罪者みたいだな。

ただ本日時点での実感としては、息子としての私の人生はもうほとんど親の預かり知らぬ境地に至ってしまっているし、娘の人生も私にとって遠からぬ将来そうなってしまうであろうということ。そしてどの段階で人生が終了してしまったとして、仮に死なずにその先の人生があったとしても、それが幸せであっただろうと断定することはできないということ。老齢に入り人生を振り返って、あの時に死ねてたら最高だったなというタイミングはいくつかあるんじゃないだろうか。

そしてその処方箋としては、幸福を得るタイミングを先延ばしにしない、善は急げ、という至極凡庸な結論しか導けていないのだけれど。