un deux droit

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妻と性を交換してあげたい

私は毎食の食事と保育園の送迎、子どもの風呂のお世話と寝かしつけを担当している。それを可能にするために毎日定時で帰り、仕事が家庭に支障をきたさないよう細心の注意を払っている。一方で仕事を首にならぬように会社の求める成果は出し続け、少ないながらも400万の収入を確保している。妻のキャリアを守り、家庭の負担を最小限にしつつ、家計にもパートタイムの倍以上の貢献をするなんて、客観的に見て世のワーキングマザーが夫に求める本音の条件を全てクリアしているとしか思えない。自分でもよくここまで意固地になってこの状態をキープし続けていると思う。けれども妻はまだ究極の不満を解消できていない。それは性差によるビハインドだ。

妻は生理のたびになぜ私がこれだけ苦しまなければならないのだと恨めしい気持ちになっている。その横をいつでも健全な男がせっせと家事育児に勤しんでいる。私が公平かそれ以上に家庭に貢献すればするほど、妻は嫉妬の気持ちを強くする。私だってもっと不自由なく仕事も家事もしたいのに。けれどもその憤懣はやる方がない。以前の私ならもっと家事育児に手ぬかりがあり、それをなじることで気持ちが幾分晴れたこともあったろう。けれども10年近く結婚生活を続けてきて、指摘された問題点は片っ端から解消してきた。もうこれ以上は屁理屈を捏ね回すしかない。最近のトラブルはもうそんな内容ばっかりだ。

妻の最大の望み。それは男性になることだ。女性であるというだけで逃れられない苦痛や、社会構造的な不公平に耐えられない。そして最も妻が手に入れたかったものの恩恵をなんの努力もなくやすやすと手に入れ、その恩恵にどっぷりと浸かっている人間が目の前にいる。妻からすれば家庭に貢献するも仕事を全うするも完全なる選択の自由が私にはある。やればやるだけ褒められる。妻はやって当たり前、やらないと変な目で見られることばかり。毎日その不条理に苛まれているのだ。

私は結婚するときに彼女を幸せにすることを誓い、そのための努力は欠かさなかったが、その努力ゆえに彼女は不幸になった。私が対等な関係を築こうと努力すればするほど、どうしても公平にならない男女差が浮き彫りになる。彼女が幸せになるためには結婚するべきでなかった。そうすれば常に比較する対象を持たずに人生を送ることができたのだから。なんたる皮肉かと思う。