un deux droit

このブログには説明が書かれていません。

『miss you』は桜井さんなりの贖罪と受け取った

Mr.childrenが新作アルバム『miss you』をリリースして2日が経った。

聞けば聞くほど切なくなる歌が立て続く。

かつての桜井さんが繰り返し描いてきた理想や夢、未来はことごとく描かれない。

どこまでも閉塞的な眼の前の現実を直視した歌ばかりだ。

終わりなき旅で『高ければ高い壁のほうが〜』とか、箒星で『でもね僕らは未来の担い手』とか純粋無垢に歌っていた彼はもういない。

思えばMr.childrenがこれまでヒットを重ねてきたのは、桜井さんがその時代時代の空気を歌の形で具現化する天才だったからだと思う。innocent worldはinnocent worldの空気感、youthful daysはyouthful daysの空気感がその時代にあった。だから多くの人の心を掴み続けてきた。そしてこれまでの桜井さんが前向きな希望を歌ってきたのはその時代にまだ希望が確かにあったからで、ライブはその信憑を強化するための自己啓発セミナーのような役割を果たしてきた。

そんな彼が、もう夢や理想を歌うことを辞めたのだ。

これは今の時代に夢や理想が完全に消失した、ということを桜井さんが察したことを意味する。

そしてこのアルバムが社会に受け入れられるとすれば、皆同じ感覚を持ち佇んでいることになる。

そういう意味で、とても恐ろしいアルバムだと思った。


アルバムタイトルの『miss you』。格納された楽曲から込められた意味を想像すると、色んな拡大解釈が思い浮かぶ。「寂しい時代になりましたね」「なんか、いろいろとご愁傷様です」「ちゃんと息してます?」「変に人生に希望持たせるような歌歌って、みんなを煽ってきて、なんかごめん」「あのときのあれちょっと綺麗事言い過ぎました。お詫びして撤回いたします」「これからはもっと現実の、等身大の歌を歌っていきますね」etc...

少々意訳がすぎるが、そんな桜井さんの苦しみを端々に感じるアルバムだった。時代に請われてその時代時代に響く希望の歌を量産してきたし、それを今でもライブで歌うけれど、もうこの歌に歌われている希望を真に受ける人はいないよね、まだあの頃は良かったという郷愁に浸るためだけに過去のヒットソングを歌い続けることが本人としても苦痛に感じ始めている。

タイトルに主語がないのは、桜井さん本人だけでなく、バンドとしてのMr.children、あるいは音楽業界全体のなにが入ってもいいから。そのどれもがありもしない虚構を流行歌に乗せてリスナーに目眩ましや現実逃避をさせてきた「共犯」であるということを意味している。

これから桜井さんは、救いはないが、逆に言い切ってくれてスッキリしたよ、ありがとう、と励みになる曲を書いていくのだろう。それはとっても難しいバランスで、獣道同然の未整備な領域だ。そんな困難に挑む桜井さんを今後も応援していきたい。