un deux droit

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マタドールの赤い布

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個人的流行語大賞2021。この人天才かと思った。誰しもが脳内に想起できるのに、うまく名付けられなかった概念に、これ以上ふさわしいフレーズはない、という名を与えた。

私も長らくフェミニストイズムに苦しんでいる。妻は何か私の言動に不備があると、全て原因を男性性とこじつけたがる。結局女性のことを下に見ているのが滲み出ている。女性を従いたいという思いが透けて見える。と「男女」の問題としないと気が済まないのだ。そうやって「抑圧された女性と虐げる男性」という構図にこだわり、問題の解決を遠ざけることを選ぶ姿勢を私はフェミニストイズムと呼びたい。
実際のところ、問題が解消してしまっては都合が悪いのだ。妻は攻撃する対象を失えば、生理の苦しみを発散する術が他にない。そのため問題の抜本的解決を先送りにし、問題でないものを問題と捏造して過ごしている。

今日も、待ち合わせの約束時間の認識が違った、というエピソードから、私が妻の存在を軽んじている、とすぐさま飛躍し、そういう大袈裟な論点ではないのではと反論すると、発狂し、拳が飛んできた。あまりの奇声にお隣さんが慌ただしく出かけて行った。すぐに沸点に達するのを訝しく思いながら口論を続け、なんとか着地点を見出し終焉を迎えることができた。
しかし話はそこで終わらない。その後妻が冷静になってから「どうもリアリティショーの見過ぎかもしれない」と白状してきたのだ。客観的に見ればそんなに激昂するような話題ではなかったのに、カップルの痴話喧嘩をずっと流しながら仕事をしていたせいで、世の男性が全てろくでなしに見えてきて、女性代表として男性を叩きのめさなければならないという義憤に駆られたようだ。なぜ私が世のろくでもない男性を代表して誅殺されなければならないのか。そのリアリティショーでも仲良しラブラブの理想的なカップルもいたはずだと指摘すると、それはつまらないから飛ばしたとのこと。また女性がひどいパターンも同様に飛ばした。つまり数ある多様なサンプルのうち、酷い男の事例だけを抽出したのち、その特徴を全体に適用するというとんでもない情報加工をやってのけていたのだ。もちろん番組側も奇異なケースの方が盛り上がるので要素として多めに取り扱うだろうから、番組撫でているカップルの分布は実際よりも極端に偏っているはずだ。妻は統計というものをもう少し勉強したほうがいい。
番組に罪はない。番組はあくまでエンターテイメントで現実をありのままに映し出したものではない。見る側に一定の賢明さが必要なのだ。妻の手にかかればどんな情報も凶器に仕立て上げる。その意味においては、刺激の少ないコンテンツだけが放映される世の中を望む。妻がテレビをつけたら指紋認証で風景だけがスクリーンセーバーに流れる映像とかをずっと眺めるハメになるような設定が欲しい。