un deux droit

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15年前のOZ

今週のお題「人生で一番高い買い物」

 

金額的に高いものを取り上げてもつまらないので、主観的な「値打ち」の高かった経験について書いてみる。

 

大学の卒業旅行の話。オーストラリアへの1ヶ月の一人旅。就職が決まり、人生の大体のレールが敷かれてしまったことにどうしようもなく虚しさを覚えていた。必死こいて身の丈に合わない大学に滑り込み、何者かになろうと躍起になって勉強にも遊びにも恋愛にものめり込んだ。しかしどうしても、所詮、等身大の自分は内気で世間知らずの田舎者だ、という自意識が拭えなかった。特に人生をかけて実現したい壮大なビジョンなど無い。いろんなことに首を突っ込んでいる内になにかに出会えたらいいのに、と思っていたけれど、ついぞそんなものには出会わなかった。大学1年時にリリースされたMr.Childrenの『未来』は私にとって拭い難い不幸な予言だったのだが、薄々そうなるだろうと予感していた、身の丈にあった、大してパッとしない『先の知れた未来』が現実のものとして確定してしまうと、人生の既定路線を変えるワンチャンはなかったなと喪失感を覚えた。本当にヒッチハイクは捕まらなかったのだ。

 

学内では内弁慶で、500人を超える大所帯のサークルの代表になっていたり、ちょっと自慢できる美貌の女性と付き合っていたりとかなり調子に乗っていたのだが、周囲が大学の名に恥じぬ立派な就職先を当然のように確保していくのを見て、「あ、こいつらとはそもそもスタート地点違うんだった。親もエリートで幼少期から英才教育、進学校上がりなんだ。同じように遊び呆けていてもきっちり押さえるところは押さえられる。元の出来がぜんぜん違う」という現実を突きつけられ、何の根拠もなく増長している自分が途端に恥ずかしくなった。ちょうどサークル代表の任期も終えて「ただの人」に戻っていた。付き合っていた女性とは婚約までしていて両親にも挨拶していたのだが、就職が決まった途端に別れを切り出した。彼女がこれから歩む輝かしいキャリアを前に、うだつの上がらぬ自分のキャリアとのギャップに耐えきれず、怖気づいてしまった。

 

その彼女はなかなか諦めてくれず「就職先うんぬんであなたの価値は変わらない。そんな卑屈にならないで」「自分は経済的に自立できるから心配しなくていい」とまで言わせてしまった。本当によくできた人だった。だからこそわざわざハズレくじなんざ引かないで、堂々と大当たりの男性と鉄板の幸せの人生を歩めばいいと思った。そうして逃げるようにして別れ、誰も自分を知らない土地で肥大した自我を鎮静させることにしたのだった。先輩に借りた「ねじまき鳥クロニクル」と後輩から勧められた斉藤和義の『黒盤』を携えて。

 

 

パースでインド洋の美しさに癒やされ、アデレードで現地の中学生に絡まれて日本人差別を味わい、グレート・オーシャン・ロードで南極という地の果てに向かって黒ずんでいく海の不気味さにたじろぎながらも、しばらくは初めての海外生活を興奮しながら満喫していた。

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メルボルンに到着し、もう10回は食べたベーコンエッグに飽き始めた朝、不意にどうしようもなく寂しさが爆発した。日本にいたときのしがらみが嫌でたまらなくて、一人になりたくて飛び出してきたというのに、たった2週間足らず、誰も自分のことを知らない環境に置かれただけでもう人とのつながりを欲している。情けなくて笑うしかなかった。いいじゃん素直になれたみたいで。自分に必要のないものと自分に欠かせないものの仕分けがやっとできたのだ。

 

メルボルンの駅で書きなぐったその日の日記にはこんなことが書いてあった。

 

 

何もしなくても、1日がちゃんと進む

足を止めると心臓も一緒に止まってしまうような不安があったけど、
走りっぱなしのせいで次第に足そのものがすり減っていることに気づいてもいたから
ここで勇気を出して止まらねばと思った

目的があるから走るんじゃなくて、
走り続けなきゃいけないと思っていたから目的を探していただけだな
 
しっかり止まって目を凝らさないと見えないものを
いったいどれだけ見落としてきたのだろうか

この旅は自分自身に科した禁固刑のようなものだ
甘え、弱さ、淋しさ、恐れ
足を止めたら、目をそらすことのできない感情がこんなにも転がってるものかと気づかされる

そういった感情をすっかり引き受けなければ、本当にタフな人間にはなれない

 

 

オーストラリアはさすが元流刑地というべきか、賑やかさの中にどことなく世界と隔絶した感覚を味わって、感傷的になったのかもしれない。結局最後は一人。他人の目なんか気にしたところで誰も自分のことなんか見ちゃいない。それぞれが自分の人生を生きるだけで精一杯なんだ。そんな開き直りができて、人間に対する執着が和らいだ。もう日本に帰っても平常心でこれまでの知人と向き合えそうだ。そんな手応えを感じた。

 

帰国したら元・彼女はあっさり別の上玉と付き合い始めてたし、サークルは新体制になって自分の預かり知らぬところでワイワイやっている。誰が誰とくっついていようと、誰が誰の上でのさばっていようと、そこに必然性など全くない。そういう達観を20代前半で得られたのは貴重だったなと思う。