un deux droit

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subtitleは果たしてsilentか

silentロスをまだやんわりと引きずっていて、車を運転するときなど、主題歌だったOfficial髭男dismの『subtitle』を聴いている。車内だし誰に聴かれることもないからと、ふと出来心で歌ってみたくなる。歌詞サイトを開き、文字を辿りながら口ずさんでみたところ、まるで口が追いつかない。最初、リズム感が独特なのかなと思っていたのだが、注意深く観察すると一音一音にあてがわれた文字数がとんでもなく多いことに気づいた。

例えば冒頭など、感覚的には「こおりついた」の6文字で1音、といった調子である。ちょっと過積載じゃないですか。その後も容赦なく1音1音にありったけの文字を詰め込んでいく。もはやこれは早口言葉。あるいはお経や念仏、呪文の類と思ったほうが良い。日本語のリスニングテストとして使用したら日本語話者でも聞き取れないレベルだから外国の方にはご安心いただきたい。

その後、耳休めにthe pillowsの『この世の果てまで』を聴くと、もはや単調にも思える1音2文字の情報量に心休まる。平成のPOPは平和でした。『川の流れのように』あたりと比較すると、

あぁ かわのながれのように
ゆるやかに いくつもじだいはすぎて

もはや平均1音1字くらい。

このくらいの密度のところに

ことばはまるでゆきのけっしょう きみにぷれぜんとしたくても
むちゅうになればなるほどに かたちはくずれおちてとけていって きえてしまう

ですからね。米津玄師『感電』でも感じたけれど、いったい何を生き急いているのかと。もっと悠久の時を感じましょうよ。
これが俗にいうタイパというやつの正体なのでしょうか。ドラマはsilentなのに文字情報量的にはむしろうるさいというか。
もっと言葉を厳選して一語一語の重みを持たせたほうが良いと感じる昭和の老害でした。

次の時代は1音10文字くらいになるんですかね。その時の歌手はもはや違う生命体な気がします。