un deux droit

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奴隷根性・社畜精神の絶望的な構造

午前中、新規事業のチームメンバーと定例会議をした。議題は、事業部主催のイベントの開催方法についてだ。

我々の部署では、今月から来月にかけて立て続けに、無料で参加できるイベントを企画していた。社内外に告知を始めてから数日後、営業部門の管理職より「イベント企画の際のワークフローを新設したので、今後はこの流れに従って運営してください」とアナウンスがあった。一見すると別々の事象だが、スタンドプレーで旺盛に企画を打ち出しているのは全社を眺めて私の部署しかいない。他の部署はほぼ死んでいて、自分たちの部門を盛り上げようという勢いは微塵もない。見に覚えのないやつにとってはただのガイドラインの新設だが、その実、見に覚えのあるやつだけを効果的に狙い撃ちしたとても卑怯なやり口である。

案の定、部署のメンバーが「これって私達の企画のことだよね」「今からでもちゃんと話し通したほうがいいかしら」とざわざわしていた。こんなのやつらの思うツボだ。私は一言「無視でいいです」とピシャリと告げた。なにかやり方に文句があるなら責任者の私に直接文句を言いに来るべきだ。それもせずに空に向かって叫ぶようなやり口を選ぶのは、自分の主張に筋が通っておらず、論破されるとわかっているからだ。

お金を取らないから請求業務も発生しない。告知はDMだけでやるから営業の手間も取らせない。営業が企画の内容を知らなくても問い合わせは直接私達の部門で受けるから心配はいらない。他部門の手を煩わせない形で企画をしていることを突きつけたらぐうの音もでないはずだ。それでもなお営業部門が面白くないと感じるのは、ただただ先に把握しておきたい、営業が認可した企画だけを実行してほしいというマウンティング願望だけなのだ。もっと露骨に言えば、営業部門が一枚も噛んでない企画で、直接お客さんに価値を訴求してよろしくやられてしまい、蚊帳の外になるのが絶えられないのだ。そんなセクショナリズム丸出しの主張をして、ハイそうですかと呑むお人好しなどいない。だから「社内が混乱しないように」「企画の日程や内容が被っちゃうといけないか、」とかいうそれっぽい理屈をこしらえて、足枷にしようというわけだ。

混乱したなら混乱を解消するために説明をすれば良いし、企画がバッティングしたなら調整すれば良い。そうやって必要に応じて個別対処すればいいのに、必要があろうとなかろうと「手順を踏む」事自体を目的化させることを赦してはならない。手順を認めれば自ずと手順の管理者が全権を握るのだ。そうやって簒奪は横行する。小悪党の考えそうなことだ。

それにしても、公式のアナウンスという形がなされたら、たとえそれが朝令暮改のような横暴な内容であったとしても、大半の人間がその内容の適否を吟味もせずに唯々諾々と従ってしまうのはどういうことなのだろうか。奴隷根性、社畜精神と言うやつなのかもしれない。私が「むこうに筋がないから無視でいい」と冷淡に突っぱねるさまを見て、メンバーはみな蒙が啓けたような表情を浮かべていた。全く勘弁してほしいと思う。その態度、ある権威から別の権威に乗り換えてるだけだから。彼らが己の中に己の正義を確立する日は来るのだろうか。