un deux droit

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普通であることの貴重さ

読者登録しているブロガーさんから、私のこよなく愛するラーメン屋さんがまもなく閉業するという情報を昨日入手し、早速行ってきた。

普段は並ばなくとも入れる。なのに激ウマというところが素敵だったのに、どこで閉店の情報をかぎつけたのか、見たこともない行列ができていた。くそ、にわかグルメ野郎どもめ。念のために開店15分前に来たのに意味なかった。雨も降っているから流石に少ないだろうと舐めていた。私を含めた常連さんはさぞかし複雑な気持ちだろう。お前らこれまでの来店回数順に並べ。きっと俺はお前らの誰よりも通ってるぞ。そんな不毛な妄想を膨らませ、不機嫌な顔をして並ぶこと1時間。靴はびしょびしょ、腹はペコペコである。

店内に入ると、大将はいつも通り飄々とした振る舞いでラーメンを作り続けている。カウンター6席だけの、こじんまりとした店。表の行列の圧を感じさせない、ゆったりとした時間が流れる。長時間並んで殺伐とした心が和らいでいく。この店舗がもうすぐ跡形もなくなるのか。もうすぐ廃校になる校舎に佇んでいるような、センチメンタルな気分になる。

いつもは大将一人で切り盛りしている店なのだが、今日は、若い男性がヘルプで来ていた。大将や客との雑談に聞き耳を立てると、宗像の有名店の店主だった。そのヘルプの店主の明るい人柄もあってか、朴訥とした大将もいつもより饒舌だ。

女性客が「行列すごかったですよ、30人くらい」と大将に言うと、「そんなに並んでるの??」と心底驚いている。わかるよ。謙遜ではなく、普段は本当にそんな行列にならない店なのだ。(失礼)

「あと25杯分くらいしかスーブ取れないよ。〇〇くん(※ヘルプの店主)、外並んでるお客さんに伝えに行ってくれる?」
「わかりました」



「今15人くらいです」
「なぁんだ、大丈夫じゃん」



店内一同で拍子抜けした感じの和やかな空気が流れた。女性客がすかさず「本当にさっきまでそれくらい並んでたんですよ、私数えましたもん」「きっとお昼休憩中に食べられないって諦めた人が多かったんでしょうね」とフォローを入れる。

「だいいちね、並んでまで食べに来るようなもんじゃないのよ」
「どこにでもある普通の醤油ラーメンだよ」
「そんなありがたがって食べるほど旨くないから」
「そんなに食べたいならもっと前に来てくれたら良かったじゃん。全然並ばずに食べれたよ」
「12時半過ぎたらたいてい暇なんだから」
大将がそうぼやきながらテキパキと調理する。
大将のボヤキに、ヘルプの店主と客が、「いやめちゃうまいですって」「ほかじゃ食べられませんよ」「さっきのお客さん、鹿児島からきたって行ってましたよ」と合いの手を入れる。その小気味良い掛け合いを心地よく聴いていた。

そうしていると、ようやく念願のラーメンとご対面。

チャーシューメン大盛り。この美しい盛り付けが胸躍りますね。至宝。スープも麺も具もいちいちが丁度いい。大将は普通と言うけれど、これがまたどこにもないんですよ。完璧なバランス。中華そばの完成形。もう食べられなくなるのが本当に惜しい。

大将は家庭の事情で実家の埼玉に帰るらしい。突然のことだったので帰ってどうするかはまだ決めていないそうだ。また店やらないんですか?との客の問いに、「ずいぶんイナカだからねぇ」とはぐらかしていた。

これから私は定期的にグーグル検索をすることになる。「埼玉 店名」で。もし同名のラーメン屋が開店していたら、そこがたとえ秩父や長瀞であっても私は行くよ。そうしてわざわざ福岡から来たなんて言わず、黙って食べて、帰ってくる。これが私の夢だ。大将にはぜひカムバックを願っている。



閉店までまた数日あるので、もう一度行こうと思う。こんな場末のブログになんの影響力もないけれど、一人でも行列を増やすことに加担したくないので、店名は伏せることにする。


「並んでまで食べに来るもんじゃないのよ」