un deux droit

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映画「君たちはどう生きるか」を解釈する

同僚が絶賛するので、午前有給を使って「君たちはどう生きるか」を見てきた。あさイチの回は私含めて6人程度の客。水分を取られるポップコーンを朝から食えるほど若くないので、あまり大差はないがホットドッグを頬張ることにした。

感想としては、難しい。これは今の段階では謎だけど、きっと後で伏線回収されるはずだ、と思わせる描写が次々と出てきて、それを忘れないように必死になって短期記憶にストックしながらストーリーを追いかけるも、何一つ回収されず、謎は謎のまま、前後の文脈の繋がらないところは繋がらないまま、「不思議な話ですね」の一言で片付けるかのように、突如として物語は終焉を迎える。呆気なく取り残される私。ちょっと待ってまだなんの感想もまとまってない。会場が明るくなり、他の5人とすれ違う時の正解の顔がわからなかったので、皆が退出するまで待つ。なんとなく、大外れの映画に金と時間を捨てた間抜けな奴らの集まりのような、気まずい空気が流れていた。


無為な時間を過ごしたと思いたくないので、何かしら意味を見出そうと考察して一日が終わった。これが宮崎駿の企みなのかもしれない。



以下、私なりの解釈を。ネタバレ含みます。







主人公は母を失った事実と、後妻として入った母の実妹を新たな母として受け入れなければならないという複雑な環境を受け入れられないでいた。

見た目は母と瓜二つだが、別人である母の妹。母の死から日を置かずして、その妹に手を出す父親の節操の無さも、思春期の少年には受け入れがたいものがあると思う。そうした父への静かな反発と、母への思慕が異世界への扉を引き寄せた。

この異世界がなんのオマージュと捉えるかで、この映画を面白く思えるかどうかが決まると思う。私はこの異世界を「子宮」のオマージュだと理解した。そしてその入口である石塔は「男根」のオマージュ。子宮の中はミクロの世界である。白いフワフワした可愛いやつが大量に出てくるが、あれは精子。それを食べるペリカンは白血球かな。死んだら黒い人間たちは破壊された精子の残骸かしら。鍵の付いた祠は卵巣だろうか。母の妹が格納されていたところが卵管みたいな感じ。
子宮の中の世界の概念としては海がマクロで、建物の奥に入り込んでいくにつれ遺伝子レベルのミクロ世界になっていくようなイメージ。ペリカンは海にしかおらず、インコは建物の中にしかいないので、インコは染色体かな。秘密の通路を辿るとさらにミクロの世界に入り込み、自分の遺伝情報たる大伯父に辿り着く。そして自らのルーツを確認する。子宮の中で出会う若かりし頃の母と、母の妹はいずれも遺伝情報の一つかもしれない。そこまでミクロの世界に入り込んで、母の妹の遺伝情報に母との近似性を確認し、母の妹という存在を遺伝子レベルまで分解してはじめて素直に「お母さん」と呼べるようになった、と考えたらワタシ的には割と腹落ちするシナリオだった。だから何なのかと言われたら私にはわからない。

結局、私達はどう生きるのだろうか。その主題に対する私なりの答えはまだ見つかっていない。